2026年1月26日 (月)

雪催

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1月25日(日)晴れ
(俳句)兎波立ちて海境雪催(ゆきもよひ)
「佐渡ブロック」のおかげで大雪は免れると思っていたが今回
は違った。一晩で一尺(約30㎝)も積った。翌日は晴れたので
高台に上ってみた。シベリアの風は冷たくて芯から凍えるよう
だった。海は兎が飛ぶように白波が立っていた。沖を行く大型
船の影がぼおっと霞んで佐渡は見えなかった。

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(俳句)雪折れの椿の一花雪の園
いつもの散歩コースを雪に埋まりながら一歩一歩と歩いた。
公園のユキツバキの枝が雪の重みで折れていた。雪に埋ま
りながらもひそと咲く雪椿の赤い花は美しいと思った。
今週末また寒波襲来予報だが佐渡ブロックが効いて今度は
小雪で済むことを願っている。
(おわり)

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2026年1月22日 (木)

日脚伸ぶ

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1月22日(木)晴れ時々雪
(俳句)青空に日脚伸びたる山二つ
今日は大寒入り3日目。寒中だからさすがに寒い。絵は人日の
1月7日に長野善光寺参りの帰途、黒姫野尻湖付近から妙高山
が午後の日に映えて余りにきれいなのでスケッチした所に色塗
をりした。主峰妙高山と外輪山の三田原山や麓の家々に差す陽
の影が長くなって少しずつ春に近づいているように思えた。
いつもの妙高山は正面の上越市側から見る顔しか知らないので
長野側からの際立つ美しさに暫し見惚れてしまった。

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(俳句)初旅は七福巡り善光寺
1月7日人日はまた七草粥の日でもある。山の会主催の善光寺
の七福神巡りに参加した。午後はすっきりと晴れて透きとおる
青空に心が洗われた。巨大な山門をくぐるとその先に七福神巡
りに賑わう参拝者たちの前に大寺の善光寺があった。

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長野駅前から始まる約2キロの参道をたどった。七福神巡りの
1番目は寿老人を祀り、能で知られる刈萱上人と石童丸にゆか
りの浄土宗の古刹西光寺を訪ねた。謡曲「苅萱」は高野山を
舞台にした父と子の悲劇の再会と別れの物語に取材した4番目
物(物狂い)として観世流で上演された。像は親子対面の場面
である。苅萱上人の刈萱塚と石童丸之墓が本堂脇の境内に祀ら
れている。

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(俳句)木喰の六字名号大冬日
七福神巡り3番目の浄土宗十念寺に徳本行者の六字名号塔が
ある。特徴的な字体の「南無阿弥陀仏」に目を引かれた。また
島々谷から標高2,135mを越えて上高地に至るクラシックルート
の徳本峠越えは徳本行者が峠路の開発にあたったとの説がある。
「生き仏」と崇められた徳本行者は諸国行脚の途中佐渡に渡り
佐渡の寺院に六字名号塔を残している。佐渡水金町専光寺跡と
佐和田町常念寺に名号碑がある。今度訪ねてみたいと思う。
十念寺の境内に祀られる福禄寿は火伏の神の秋葉神社ゆかりの
天狗三尺坊の化身と云われる。雪深い新潟から峠越えして透き
とおる青空の長野善光寺参りは思い出深い初旅となった。
(おわり)

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2025年12月24日 (水)

飯豊白し

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12月23日(火)晴れ
(俳句)雪嶺は巍巍堂々の飯豊山
今日は朝から青空が広がった。午後の日射しを浴びて飯豊連
峰が輝きを増す頃、今日はきれいに見えるかしらと高台に
上った。JR越後線が真下を通る跨線橋から眺めると、いい具
合に新潟市街と飯豊山が収まるアングルがあるのだ。画面に
入らないが手前には「関屋分水」が流れていて日本海に注ぐ。
信濃川の本流地点から分水路掘削の大工事が始まったのは確
か私が中学1年生の頃と覚えている。海岸線に沿って延々と
西の角田山まで続く広大な松林の丘陵の中には競馬場や花火
工場もあった。分水路工事が竣工し通水式が成った9年後には
分水路の大河に橋が架かり新潟丘陵の頂稜部に国道16号線が
通った。広大な松林は全て伐採された。競馬場と花火工場は
移転して、住宅地へと変貌した。そんな街の歴史を内包して
川は滔滔と流れ、冬の日本海に注いでいる。中学生だった私
もすっかり老いた。近代化の波に押されて新潟の街の景色は
変わったけれど、飯豊山は昔のまま巍巍堂々と輝いている。
(おわり)

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2025年12月10日 (水)

一の倉沢の秋

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12月9日(火)晴れ
(俳句)魔の山に殉難の碑や秋行けり
9月末の山行でスケッチだけして放っておいた画帳に3ヶ月も
経って色塗りを始めたら意外と面白くなって2、3日で描き終
えた。絵は構図と影の入れ方が大事だと改めて思った。一の
倉沢出合に立つと谷を隔てて白毛門が姿を現す。学生の頃、
只一直線に突き上げる急登に泣かされたことを思い出した。
50年以上も前の話だが、白毛門の尖峰を見れば昨日のことの
ように記憶が甦る。一度登った山はその時から自分の山にな
るというが、そのとおりだと思う。一の倉沢出合から山の鼻
を左に回ると岩盤に打たれた多数の殉難碑に出会った。何と
なく重苦しい雰囲気に、思わず掌を合せた。
(おわり)

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2025年11月 7日 (金)

秋惜しむ

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(クリック拡大) 猿毛岳より粟ヶ岳をスケッチ
10月29日(木)晴
(俳句)薬師様とふ山の名に秋惜しむ
一枚のスケッチ画を描き終えた。10月15日に山の会の山行で
猿毛岳(加茂市)に登った。山頂に建つ小屋前の小広場のベン
チから粟ヶ岳が良く見えた。山肌が赤く見えたのは紅葉が始ま
ったからだろう。その後初雪が降った。最近は熊の出没が多く
なった。この山域でも熊が出ている。登山口にある熊注意の看
板が真実味を帯びて怖いので、山の会の山行が貴重に思えて来
た。大勢で登るのが安心で安全に思えるからだ。猿毛岳は昔ス
キー場があった。若い頃スキーの練習に猿毛岳のスキー場や隣
の冬鳥越のスキー場によく出かけた。加茂駅から今は廃線にな
った蒲原鉄道の満員電車に揺られて冬鳥越駅で下車すると駅の
前が直ぐゲレンデなので人気のスキー場だった。ランチの後、
下山路の途中に藪に半分隠れて放置されたリフトの残骸を見つ
けた。あの時代からもう半世紀以上が経ったのだなぁとしみじ
みと思った。

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新潟市街から東南方向に聳えてよく見える名峰粟ヶ岳1292m
は別名が「山頭山」「三峰山」「牛形山」「薬師様」(百山百色)
とこんなにある。見える方向によって山容が変るからだろうが
古来よりの信仰の山だからだろう。新潟県内にある「薬師」を
冠する山は32座、うち下越は6座。(百山百色より)夫々の山
の別名を数えたらもっと多いかもしれない。信仰の山としての
粟ヶ岳ー「単なる登山の対象ではなく田の神信仰と結びついた
農耕文化の象徴的存在として地域の精神文化に深く根ざしてい
る」(AIcopilot) AI検索による田の神信仰との結びつきとは
興味深い。そんなことを思いながら句を詠んでみた。
(おわり)

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2025年9月12日 (金)

秋晴れ

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(クリック拡大)   アルプの里より飯士山
8月28日(木)晴れ
(俳句)霧晴るる奥魚沼の山の青
正面に飯士山が間近に見えました。またの名を「上田富士」
とも称されるのはその昔、湯沢を含む一帯は上田長尾氏が領
有する上田庄と呼ばれて上杉景勝や直江兼続等の名将を生んだ
土地柄だったことに因むようです。北西面の「負欠スラブ」の
大岩壁を抱いて立つ西ノ峰と右に南峰を従えて聳える堂々の独
立峰の姿にしばし見惚れてしまいました。

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(俳句)秋晴れの蓮華升麻の花浄土
レンゲショウマは花が蓮、葉っぱがサラシナショウマに似る
ことに因んで命名されたとか。俯きがちに咲く愛らしい花は
「森の妖精」とも。レンゲショウマに似る黄レンゲショウマも
まだ蕾のままでした。標高1,000mの涼しい高原の林床に自生
するレンゲショウマの花期はこれからのようでした。

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(俳句)奥峡のトンネル口は渓の秋
魚沼こしひかり御膳は御飯が美味しくて2杯もおかわりしま
した。昼食の後、湯沢の背後の魚沼丘陵を越えて清津峡に
下りました。清津峡は柱状節理が谷の全体をを覆う峡谷美
がすぐれ、国の天然記念物に指定されました。昭和63年
(1988)に峡谷登山道で落石死亡事故があり、歩道トンネル
建設着工、開坑となる歴史がありました。坑口の水鏡がSNS
で話題となり、インスタ映えするスポットとして一度は訪ね
てみたい名所になりました。

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(俳句)秋の日の峯の白雲動かざる
俳句歳時記では今はもう秋。でも、こう日々暑くては木々も山
も青々として「山装ふ」錦秋はまだまだ先のようですが、紅葉
の頃にまた訪ねてみようと思います。
(おわり)

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2025年9月 5日 (金)

キツネノカミソリ

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8月24日(日)晴れ  酷暑続く
(俳句)盆過ぎのきつねのかみそり物語
溽暑の午後キツネノカミソリの咲き具合を見にでかけました。
妙光寺の広い墓参用駐車場はガランとして隅に1台だけ。墓の
間を通り抜け、小沢を渡り登山道に取付きました。息苦しい程
の暑さ中を登ってい行くと、下山して来た一人の老女とすれ違
いました。白花を見つけたのはこの辺だったかしら?と話すの
に興味をひかれ、後に付いて歩きました。ジグザグに登ると汗
が目にしみるので、度々立ち止まっては汗を拭きました。老女
はどんどん先に登って行きました。離れてしまったのでおーい!
と呼ぶと、おーい!と返事が。遠くて何を言っているのか聞き
取れません。おーい!と呼ぶともう声は聞こえず、静寂とツク
ツクボウシの声が耳に蘇りました。少し不安になったので登っ
て行くと草の上に真緑色のスイッチョンが。草むらのキツネノ
カミソリに日が射して輝き、ひらりと舞い降りた黒揚羽の美し
さに見惚れてしまいました。
老女の姿はなく、もう誰もいない花野でいつか聞いた妖狐譚の
ことが頭を過ぎりました。下界は墓地、ここは古墳の山なのだ
だからと思い直してゆっくり山を下りました。
(おわり)

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2025年8月24日 (日)

久闊

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(クリック拡大)     七ツ小屋山より蓬峠
8月19日(火)晴れ
(俳句)久闊の友の逝きけり夏の果て
私の学生時代、部活の山仲間のOB氏の訃報を聞いた。故人は
私の1年先輩で後輩の面倒見がよい人望のある人だった。昔蓬
ヒュッテで小屋主から自炊の手際がよいとほめられたことがあ
ったとを思い出した。そんなある日、OB仲間からラインで54
年前の夏合宿の計画書と写真が届いた。手書きガリ版刷り21頁
のPDFだった。54年前とは昭和46年(1971年)7月28日~8
月5日までの飯豊連峰主脈縦走の計画書だった。
越後下関駅で下車、大石集落まで入りゴンドラ幕営地で1泊。
翌日は東俣川林道の終点まで歩いていた所をたまたま通りかか
った村の人の善意でトラックの荷台に乗せてもらったことを覚
えている。終点からブナイデ沢の渉り場で一人ずつザックと自
身がゴンドラに乗り、引綱を引いて26mの河身を渡り、対岸の
カモス峰に取付く。杁差岳、北股岳、御西岳、大日岳を往復し
、飯豊本山、種蒔山、三国岳、地蔵山経由して川入へ下る南下
コース組と、その逆コースを登る北上コース組に分かれて、部
員40人が半分の20人ずつ分れ、各10人編成のパーティー2班
ずつ南下組と北上組がコース真ん中の十文字小屋に集中、スラ
イドする計画だった。

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「越後の山旅 上巻(藤島玄著)」「飯豊連峰大地図(藤島玄著)」
飯豊山地の情報は主に両書に頼った。関係個所は何度も読み返
して部員皆で計画を練った。係分担では私は新潟だから飯の炊
き方は上手いだろうと言われ、食料班になった。3食8日間の献
立表を作った。昼食のパンは大学近くの馴染のパン屋さんに頼
んで日持ちするフランスパンを8日分を人数分焼いてもらった。
昔はフリーズドライ等なかった時代なので、只ひたすら8日分
の鯨の大和煮の缶詰と玉葱とジャガイモと米をキスリングのポ
ケットに詰め込んだ。気象班はNHK第2放送の漁業気象情報を
天気図に書き込む練習に懸命だった。地図班は5万分地図とに
らめっこして高低差グラフを作成した。
写真の中の仲間は皆若く、重いキスリングを背負っていた。今
では見かけなくなったキスリングとは横長で大容量、丈夫な帆
布性のザックのことで、重いテントや共同装備、8日分の食料
と水、個人装備をパッキングすると30、40㎏になるのを当た
り前のように担いで只黙々と登った。私は南下コース組だった。
カモス峰を登る日も今日の様に暑かった。千本峰の辺りで水筒
の水が底をついた。前朳差岳を登りあがって着いた長者原の景
色がまさに天空の楽園のよう思えた。透き通った池塘の水に顔
を浸して飲んだ、旨かった。(野猿が水浴びしたかもしれず、
微生物や雑菌の巣のような池塘の水など怖くて、今ではとても
飲む気はしないが。)同じ班のライン仲間から皆それぞれに苦
労したエピソードが寄せられた。

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従来は西俣川経由で大熊小屋に至り杁差岳に登るクラシックル
ートがあったが、第19回新潟国体の登山会場として東俣川経由
の登山道が昭和38年秋に開削された。大石ダムの建設工事着工
が1970年で竣工の1978年には旧来の東俣川林道はダム湖の下
に沈み、苦労して渡ったゴンドラの代わりに第2号鉄橋(ブナイ
デ橋)が架かった。「久闊(きゅうかつ)」とは長い間人と会って
いないことや便りを交していないことを意味する言葉である。
(Microsoft CopilotあなたのAIアシスタント)
図らずも54年前の飯豊連峰縦走夏合宿の計画書を送ってくれた
OB氏のラインを通して大学時代の部活の友人と久闊を叙した
一日となった。
(おわり)

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2025年8月10日 (日)

風は秋

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(クリック拡大)  弥陀ヶ原より月山
8月9日(土)晴れ
(俳句)ひろびろと草ひろびろと風は秋
酷暑が続く毎日ですが、暦の上ではもう秋。時折吹く風に心地
よい秋を感じます。
「阿弥陀如来が祀られていたので「弥陀ヶ原」と呼ばれる。月
山弥陀ヶ原は霊峰月山の8合目に広がる高山湿原地帯「天空の
楽園」と称されるスポット。御田原神社があり稲田の守護神、
奇稲田姫神が祀られている。」(AIあなたのアシスタント)
時折現れる池塘に生えるホタルイ(蛍藺)を神の田圃すなわち
御神田に例えたものでしようか。
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木道脇に生えていたオオバギボウシの花、ピンクの愛らしい花
はハクサンフウロ、池塘のいくつかはご覧の通り干上がってい
ました。ギボウシもハクサンフウロも水不足と酷暑に元気なさ
そうに見えました。
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下山の途中に立ち寄った休憩所脇には注連縄を掛けた巨大な兎
が祀られていました。なぜ兎?と思ったら、「月に兎」でした。
月山すなわち月読命の山に向いている兎だったのです。患部を
なでると御利益があるというので座骨神経痛が早く治りますよ
うにと兎さんのお尻と後ろ足のあたりを懇ろに撫でてお参りし
ました。
(おわり)

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2025年8月 1日 (金)

晩夏光

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8月1日(金)晴れ
(俳句)影の神かげりて島の晩夏光
「影の神」は佐渡市後尾地区にある巨大な岩島で霊的存在と
して崇められて来た所です。名前の「影の神」は霊峰金北山
の祠の影が岩に映ることに由来する説、また「鹿毛の霊(かみ)」
とも呼ばれ鹿毛の馬が人に化けて現れるとい怪異譚、はたま
た岩のシルエットが牛が眠っている姿にも見えることから、
金北山の神の使いだった説と諸説云い伝えが残る神秘性を秘
めた場所なのです。島の南側に洞穴があり、弘法大師が修法
を行った所で、その奥に観音像が安置され舟でゆくしか参拝
ができない神聖な空間があるといわれます。影の神の頂上に
は槇柏(しんばく)が密生しており、採ると大時化が来ると
云い伝えられています。

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高さは約30m、周囲約320mの一枚岩の溶岩ドームで約2,000
万年前の火山活動によって形成された流紋岩質の巨岩で岩肌に
縞模様が見られ、粘性の高い溶岩がゆっくり流れた証拠といわ
れまています。佐渡ジオパークにも登録されています。
(Microsoft Copilot(あなたのAIアシスタント)より)
あと1週間もすれば暦の上ではもう秋。過ぎ行く夏に、どこか
もの悲しさを覚えて影の神の前から去りがたい気持ちになるの
でした。
(おわり)

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