2025年3月26日 (水)

雪割草

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(クリック拡大) 角海岬より角田山
3月25日(火)晴れ
(俳句)芽吹まだ寺領の山の風固し
西側から見る角田山はまた別の顔をみせてくれました。いつも
前・東面と海側から見ると横の顔しか知らないので改めて西側
から見ると巍巍堂々として初めてみる山の様で新鮮でした。
昨日は和島の六万部山に登りました。

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(クリック拡大)
(俳句)山陰にひそと雪割草一花
雪割草が咲き始めました。雑木山の木々が芽吹くまでのほんの
短い間に種々のスプリングエフェメラルたちが現れ、咲き競い
百花繚乱を現出するのです。白花のキクザキイチゲ、線香花火
みたいなオウレンたち、ショウジョウバカマのほとばしるよう
に咲く花に力強さを感じます。

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(俳句)南朝の忠臣の碑や三角草
鎌倉時代に日蓮上人の遠流が決まり佐渡へ渡る時、この六万部
山を歩いて越えた道が保存されています。時代は移り南北朝時
代に六万部山に城を構えた南朝の忠臣の風間信濃守の顕彰碑が
山頂の本丸跡に建っていました。風間信濃守は日蓮宗に帰依し
て城郭の一画に妙法寺を建立しました。

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(俳句)赤門の多聞天像春の風
和島の妙法寺は千年の歴史を今に伝え、豪壮な赤門には四天王
の内の二天即ち北の守護神多聞天と東の守護神持国天が左右に
祀られています。小川に水芭蕉が、山門脇にはキクザキイチゲ
の群生が寺領の裏山のオオミスミソウ(大三角草)やカタクリ
の群生を眺め歩き、南朝の昔に思いを馳せてみました。
(おわり)

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2025年3月10日 (月)

春日粲

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(クリック拡大) 不動堂山から風越山
3月9日(日)晴
(俳句)たをやかな白き雪嶺春日粲
麓に不動堂という名の集落があるので、その裏山を不動堂山と
呼んだとばかり思ってましたが、実際は山中の滝の傍に不動堂
があるのでそれに由来したのかもしれません。不動堂山の標高
は557.3mの低山です。山頂から太尾根を下り、ひたすら登っ
た先に聳える風越山は806m、その奥の横山は861mで国土地
理院地図に山名の記載はありません。不動堂山から風越山へは
夏道はないので、積雪のある冬の時期だけ登られる山なのです。
低山でもワカンを履いてノートレースの斜面をラッセルして登
る爽快感は格別です。仰ぎ見る白きたをやかな峯は神々しくさ
えあります。朝日に映えて輝く白き嫋やかな峰を昔、麓の人々
は神とし祀ったかもしれません。以前仲間と登ったアルバムの
一枚に目が留り、いろいろ思いを馳せてみたのでした。
(おわり)

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2025年3月 1日 (土)

二月尽

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(クリック拡大)   弥彦山から多宝山
3月1日(土)晴れ
(俳句)雪に明け雪に暮るゝ日二月尽
山は大雪、新潟平野も2度二尺超の降雪に悩まされました。
雪除け疲れで持病の腰痛が悪化して、医者通いをしています。
でも晴れたら、残雪の山々が美しい季節にもなりました。
凪の日本海の沖に朝日連峰や遠く月山、鳥海山も白く輝いて
見える日もあるのです。
穏やかな日には高台に登って景色を眺めるのが好きです。
「逃げる2月に去る3月」雪除け日々の2月は過ぎ、このまま
雪解けが進んで3月の春風が待ち遠しいこの頃です。
(おわり)

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2025年2月17日 (月)

納め句座

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2月17日(月)くもり
(俳句)四十年句座の幕引く二月尽
入会した頃は皆元気で40人もが犇めき合ってた時代は過ぎ
皆老いて最後は13人で、長く続いた句会を終えました。
(俳句)喧々の諤々の句座雪解風
    目つむれば師恩俳縁寒灯下
    生涯の一句は遠し凍ての星
師匠は御年102才、会員も皆老いました。世の俳句ブームの
中にあっても現代俳句とは一線を画して、只々「写生俳句」
を愚直に守って40年、生涯の究極の一句はまだ見つけられ
ないまま終りそうです。

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来し方を振り返りながら最後にホテルで食事会をして散会と
なりました。
(おわり)

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2025年2月15日 (土)

春に入る

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(クリック拡大) 赤塚砂丘より飯豊連峰
2月15日(土)晴
(俳句)雪嶺の飯豊連峯春に入る
これからは晴れると残雪の山並がきれいに見える季節になり
ました。久しぶりの好天に誘われて角田山に出かけた帰り途
砂丘地に立つと飯豊連峰に目が留りました。飯豊連峰が見え
ると得したような満足感が得られるのが不思議です。

(俳句)三寒は吹雪四温は小糠雨
立春を遠に過ぎたというのに、新潟に大雪が降りました。
「佐渡ブロック」という佐渡島がシベリアからの季節風に立
ち向かってくれるので、その風下の新潟平野には雪が降らな
いのが定説だったのに今回は違いました。

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(クリック拡大)
降った翌日に近くの丘の公園を歩きました。雪晴れの日には
サングラスとゴム長で山歩きの気分が味わえました。
バレンタインデー過ぎに2度目の大寒波予報なのがちょっと
心配です。
(おわり)

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2025年1月28日 (火)

大寒

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(クリック拡大)     角田浜にてスケッチ
1月27日(月)晴
(俳句)穏やかな一日だけの春隣
七浦海岸に打ち寄せる大寒の荒波を眺めようと出掛けたので
すが、豈図らんや小春のような陽気にびっくり。海は波静か。
佐渡の雪嶺と紺碧の凪海をうっとり眺めて、一日スケッチし
て過ごしました。陽気は続かず翌日からはまた厳寒の荒天に
戻り結局、あの日限りの陽気だったようでした。もう後数日
で1月は終り、2月2日は節分、3日立春とは。ああ月日の経
過の何と速いことか。
(おわり)

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2025年1月18日 (土)

初景色

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(クリック拡大)   菅名山塊をスケッチ
1月17日(金)晴れ
(俳句)鴨高く飛んで蒲原初景色
正面の山塊がぼーっと明るくなり始めました。左端の鋭鋒の
空が茜色に染まりました。菅名山塊の「菅名」の名は戦国時
代、菅名庄一帯を領有した菅名氏に由来するようです。地酒
「菅名岳」は主峰菅名岳の中腹に涌く「どっぱら清水」を仕
込み水にするので、寒の入り(1月5日)から数えて9日目の
寒九(今年は1月14日)に寒九の水汲みがかつて行われていま
した。背負子に一斗(約20リットル)の清水を汲んで麓へ下る
行事に私も参加したことがありました。
雪の田の沖に朝焼けに染まる菅名山塊が目に留まり、車を降
りると頭上を鴨の群が過ぎていきました。近くの白鳥の湖の
瓢湖から飛んで来たのかもしれません。今頃は餌場に飛び立
つ白鳥たちの喧騒が聞こえ、荒々しい離陸と編隊飛行が観察
できるはずです。
(短歌)鴨高く飛んで蒲原初景色寒気凛々淑気満つかも
掲句の(五七五)を上の句に下の句2句(七七)を加えて短歌に
したら面白いかな等と思いながら車を走らせました。
(おわり)

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2025年1月12日 (日)

初稽古

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1月11日(土)晴れ
(俳句)訥々と謡忠度初稽古
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いし
ます。連日の大雪で露天の駐車場が使えないので、今年の初
稽古は歩きから始まりました。広い稽古場に正座して謡本を
持ち、先生と相対すると何かこう引き締まる思いがします。
能「忠度」は薩摩の守平忠度が主人公の世阿弥の名作ですが
、平家の公達タダノリの合戦模様は雄々しく強吟で、嘆きの
心情を吐露するところは弱吟で謡うという、この切り替えが
謡の初心者の小生には中々の難曲なのです。訥々と苦行の日
々が今日からまた始まります。
(おわり)

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2024年12月26日 (木)

忘年登山

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12月9日(月)くもり
(俳句)乾杯し屈託もなく年忘れ
新潟では冬場は降ってなければ「晴れ」というそうなので今
日は晴かな。山の会の行事で弥彦神社に参拝後、忘年会とな
りました。持ち上げられたら願いが叶うという重石、上がり
ました。私も福引に当たりました。山の会の「コカリナ」達
者の演奏会もあって盛会でした。(おわり)

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2024年12月25日 (水)

文明開化

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12月4日(水)晴れ
(俳句)新潟は五港の一つ冬かもめ
山の会の行事で下町(しもまち)を歩きました。江戸中期に
旧長岡藩領だった新潟は港町として上町1番から下町10番ま
で整備され、町民自治が行われました。戊辰役を経て維新後
は洋館が建ち並び、イザベラバードが旅の途中に立ち寄って
「何と美しい町か」と感嘆の声を挙げたとか。創業が明治期
という西洋料理の老舗で打ち上げの忘年会となりました。
(おわり)

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