旧蹟を訪ねて 川越波切御名号堂
親鸞聖人の布教にまつわる越後七不思議伝説がある。
その地を訪ねて見ようと思った。
関屋分水から堤防沿いに歩いた。
西川の水門に架かる「波切橋」を渡ると、冷たい川風が
吹き抜けて行った。
帝石橋近くの堤防下に立派なお堂が建っていた。
ここが鈴木家 旧蹟・川越波切御名号堂だった。
横にちょっと小ぶりな「南無龍神」の石碑があった。
龍神とは信濃川のことだろうか?
七不思議伝説ができた時代は近世村落の形成期に重なって
いるという。近世は日本史では安土桃山時代を指すが
越後の近世の始まりは慶長3年に秀吉の命で上杉景勝が
会津に転封され代わって越前から堀秀治がやってくる。
堀氏の与力大名の一人溝口秀勝が新発田に、村上勝頼が村上に
配置され立藩して歴史が動き出していく。
大名たちの移封に帯同して真宗寺院の教線拡大と門徒たちの越後
への移住が開始された。信濃から信濃川に沿って流入が始まる。
蒲原平野の開墾が進み、自然堤防上に村落が形成されていった。
現代は無宗教の時代だとよく耳にする。
宗教が必要とされる世界とは今の自分には想像すらできない。
四国遍路を歩いてきたイチガク先輩の言葉が胸に響く。
「悲しみを抱いてなけりゃ、遍路は歩けないよ」
(おわり)
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コメント
窓から絶え間なく降る雪を見ながら、書いてます。堀秀治の父と堀直寄の父が従兄同士なので
ハトコと言うのですか?長岡の地に築城して城下町にした直寄の立派な銅像が長岡にあります。
直寄と直江兼続の間にいろいろあって「愛の人、兼続」は、あまり好きではないです。長岡に見に来てね。
R様 おはようございます。
コメントありがとうございます。
直寄公は才覚のある名君だったようです
ね。新潟町の建設にも着手されたんです
よね。
こんなに雪が降るのに、雪遊びに昨日
山に行ってきました。
投稿: R | 2012年2月26日 (日) 11時13分