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2012年3月19日 (月)

望郷の歌に想う

新潟の濱にて
ふるさとの はまのしろすな わかきひを
     ともにふみけむ ともをしぞおもう
            会津八一 生誕の地Img_3222

新潟市古町5番町の通り沿いに会津八一の
生家跡の石碑が建っています。江戸時代に
には遊郭「湾月楼」として、明治に入ってからは
老舗料亭「会津屋」になって賑わったといいます。

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〔新潟の濱にて 『寒燈集』『雲際』詞書(新潟の濱にて)より〕
(訳=故郷の浜の白砂を若き日、ともに踏んだ友のことが
しきりに思われる)
歌は昭和20年東京大空襲で被災し傷心を抱いて新潟へ
帰郷したときに詠んだ1首
《石碑解説文より》

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会津八一は明治14年8月1日に新潟市に生まれました。
長じて現早稲田大学に進み、文人坪内逍遥らと交流が
あり、歌人、東洋美術史家、書家として活躍しました。
雅号は秋艸道人。新潟名誉市民といくつもの肩書きを
持つ立派な人だったのですね。

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かすみたつ はまのまさこを ふみさくみ
           かゆき かくゆき おもひそわかする
(訳=春の霞が立ちこめる砂浜を踏みつけて、行きつ
戻りつして物思いに耽っている)
歌は東京に居た頃、故郷を懐かしんで詠んだといわれ
ています。

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南浜通2の現北方博物館・新潟分館になっている建物
は八一が「南浜秋艸堂」と名付けて昭和21年から10
年間間借りして暮らした場所なのだそうです。

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邸内の庭に「かすみたつ・・・」の歌碑が立っているそう
です。
この歌碑の拓本を表装した掛け軸が私の実家の床の間
にいつも架かっていたのを思い出しました。
子供の頃からいつも目にしていたので懐かしい句なのです。

歌碑は市内の随所にあるので、今度歌碑めぐりをしようと
思っています。

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短歌といえば、すぐ思い浮かぶのは漂白の詩人といわれる
若山牧水の『白鳥の歌』ですよね。
しらとりは かなしからずや そらのあお うみのあおにも
そまず ただよう
いくやまかわ こえさり ゆかば さみしさの はてなむ
くにぞ けふも たびゆく

Img_3564

『白鳥の歌』は昭和22年に連続ラヂオドラマ『音楽五人男』
が映画化され、挿入歌として発表されました。
牧水が郷里宮崎に帰省する旅路の途中で詠まれたといいます。

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短歌の五・七・五・七・七の言葉の組合せの中に、人の心底
に流れる感動の世界をみせてくれる力が潜在しているように
思えるのです。

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『白鳥の歌』は小学生の時に観た映画『日本誕生』の中の
悲劇の皇子・日本武尊(ヤマトタケル)が自ら白鳥に化して
孤高に大空を舞うシーンと重なって思い出されるのです。

(おわり)

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コメント

先日18日の日曜に、白山公園に吟行でした。
紅白の梅はそろそろと咲いていて、今までまったく知らなかった白山公園の知られざる(私が知らないだけ?)句碑や、小さな神社など見て回りました。
新潟市内に何十年と住んでいながら、知らなかったです。
いつかアップします。

noritan様こんばんわ。コメントありがとう
ございます。吟行とは素晴らしい。
小生も興味本位で作句し始めたのですが
季語重なりはする、ルールも知らずで滅茶
苦茶なのですが、なんかその醍醐味に嵌りそうな予感がするのです。(^^ゞ

投稿: noritan | 2012年3月21日 (水) 06時32分

恥ずかしい話ですが、会津八一、いろいろと立派な方だと知っていましたが
文学音痴の私、 新潟の人とは知りませんでした。
「会津」という名がインパクト強くて、てっきり福島の方と思い込んでいました。
まったく無知もいいところですね。 穴があったら入りたい思いです。

FUKU様こんばんわ。コメントありがとう
ございます。「穴があったら入りたい」
などとご謙遜を。小生もいつも通っている道
で「ふと」石碑が目に入ったのですよ。
視点をちょっと変えるだけで発見があるの
すね。新潟には文人墨客がいるのですねー。
ちょっと勉強してみようかな~。

投稿: FUKU | 2012年3月21日 (水) 10時21分

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