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2012年3月28日 (水)

旧蹟を訪ねて 沢海陣屋跡

先日、新婚の甥がお嫁さんを連れて帰省しました。
県外からやって来たのお客さんに新潟を知って
貰いたいと北方博物館に案内したのです。

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展示物の中に「越後国沢海藩」の記録を見つけました。

Img_3639 沢海藩の成立は江戸時代初期、慶長15年(1610)
新発田藩の初代藩主溝口秀勝の次男善勝が1万4千石
の支藩として沢海城が置かれました。

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立藩後3代77年の治世後に「お家騒動」が起こり改易廃城
の運命を辿るのです。(写真は沢海城主のお墓がある大栄寺
山門です)

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沢海藩改易後、代官所支配を経て徳川旗本・小浜孫三郎行隆
(摂津国)の知行所の陣屋が置かれます。

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この時期に大庄屋伊藤家は既に耕作を止め着々と豪商の基礎
を築いて行きます。藍、雑穀加工業の問屋、倉庫業、等を通じて
大面積の土地所有を実現して行くのです。Img_2525

旗本・小浜氏の御用達になって苗字帯刀を許され、「伊藤文吉」
を名乗りました。Img_2519

明治時代に入ると政府の地租改正による重い税負担の金納制
が中農層に壊滅的な打撃になり、大規模地主の土地所有を
更に促進したのです。Img_3632_2

この結果伊藤家は明治41年(1908)には1385町歩を保有
して県下随一の大地主になりました。Img_3642

農業現場では小作料の徴収、小作料の米の大規模販売
が営まれ、第二次大戦後の農地解放までこの農業支配が
続きます。Img_3641

敗戦後の昭和20年12月、占領政策としてGHQは農業改革
の指令を発しました。昭和22年から3年間に渡り日本政府は
地主から安値で強制的に農地を買い上げ、小作人に売渡す
方法が取られました。 Img_3618

買取代金は10年間換金できない国債で支払われ、その間に
起きた大インフレのため事実上ただ同然の買い上げになった
ことは周知の事実です。Img_3638

(樹齢350年という椎の木が立っていました)
荒療治の農地改革によって得をした人、損をした人、残った人
没落した地主。悲喜こもごもの人生ドラマがあったでしょう。Img_3637

土地所有が平等化されて自作農家が増え、土地が細分化されて
現在に至ります。今後TTPではどんな展開が待っているので
しょうか?
お嫁さんも何か感じてくれたカナ?
(おわり)

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