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2012年3月 5日 (月)

旧蹟を訪ねて 彌彦・宝光院

彌彦神社の鹿苑から競輪場のある辺りには
昔、神宮寺と真言院の社殿堂塔が立ち並んでいた。

神宮寺の阿弥陀堂には阿弥陀如来坐像が
安置され真宗門徒の参詣が絶えなかったという。

Img_3238

  彌彦山系の真言寺院には神仏習合と結びついた
ご来迎信仰があった。山の端に沈む夕日に
『山越の阿弥陀如来』(如来(にれ)さま)
を拝む姿がよく見られた。Img_3231

蒲原平野の東の位置から西の方角を見た時、彌彦
山系に夕日が沈む情景はまさに西方浄土を連想
させるものがあったかもしれない。

Img_3236

彌彦の本地仏は文献上に現れる13世紀後半以来
一貫して阿弥陀如来だという。野積の西生寺、国上
の国上寺も真言宗でありながら阿弥陀如来を本尊
としている。
彌彦山系は『阿弥陀の山』の性格を持っていた。

Img_3234

本地仏とは「この神は実は○○仏がこの日本に垂迹
された時の仮のお姿です」と説くもの。
神仏習合の
神社内の神宮寺に安置される仏のことをいう。

Img_3245_3

本地とは本来の境地。
究極の本地とは宇宙の真理そのもの。
法身(ほっしん)であるとする。
垂迹とは迹(あと)を垂れる。
神が現れることをいうのだそうだ。

Img_3246

明治維新の明治2年、越後府から神仏分離令
が発布された。
廃仏毀釈の嵐が吹き荒れた。神宮寺が壊された。
仏像仏具が破却された。

Img_3237

この時、真宗寺院と門信徒の熱心な守護活動が
起きて宝光院と阿弥陀如来坐像だけは辛うじて
破却を免れたのだという。

Img_3239

破却を免れた阿弥陀如来坐像はその後保護活動に
関係した寺院を転々とした後、明治29年に再建
された宝光院に安置されて現在に至るそうだ。

お御堂の奥にライトアップされた坐像が見えた。
優しいまなざしの仏様だった。
(おわり)

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コメント

数年前弥彦神社に行って温泉宿に泊まって楽しい一時を過ごした事を思い出しますね!

静岡の岳人さん こんばんわ。
雪のドンデン山に登ったことが懐かしく思い出されます。スプリングバンク持ってまた
おいで下さい。

投稿: 静岡の岳人 | 2012年3月 8日 (木) 21時20分

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