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2012年4月13日 (金)

旧蹟を訪ねて 梅護寺と無為信寺

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漸く家の庭の梅が開花した。越後七不思議の1つ旧京ヶ瀬村小島
の梅護寺「八つ房梅」を見に出掛けた。

集落内には青いトタン屋根の大きなお御堂があり、その前に
布教装束の親鸞聖人の像が立っている。

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承元3年から4年(1210)小島の里に布教の為、半年間
逗留された。信心を受得した夫婦がお礼に差し出した梅干の種
を庭に植えて念仏を称えたところ、これが芽を出し枝葉が茂り
花は薄紅の八重咲きで1つの花房に8つの実が結ぶようになった。
と伝えられる。

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梅護寺は文化10年(1813)西本願寺19代本如上人から
西本廟の聖人等身のご真影(聖人83歳の時の絵姿)を
書写したものが下付され別院資格が授与された。

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天然記念物 梅護寺の数珠掛桜 昭和2年4月8日 文部省指定
指定の理由 この桜の花は一様に紅色で花びらは約80枚あり、
花序が数珠のようにうつむいて垂れ下がり、八重桜の中でも
特別に美しい品種なので、昭和2年4月8日国の天然記念物に
指定された。

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由来 浄土真宗の宗祖、親鸞聖人が越後の国へ流罪され、
その間宗教活動のため、梅護寺の付近にこもられた。
 この土地から他へ向うときに、手に持っていた数珠を桜に
掛けて「私の教えに誤りがなければ、この桜は数珠のように
なるだろう。」といわれた。不思議なことに、この桜の花は
紅色で数珠のようになったと言い伝えられている。 
          平成5年7月1日 京ヶ瀬村教育委員会

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小島集落を離れて次の目的地・阿賀野市下条町に向かった。
残雪の五頭連峰が輝いて見えた。

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無為信寺は親鸞聖人の高弟24輩の一人、無為信房によって
創建された。無為信房は甲斐武田源氏の流れを汲む武家の
出であったが親鸞聖人に深く帰依し、親鸞門下として活躍された。

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親鸞聖人が常陸国稲田から京に戻られた後、会津門田一ノ堰に
無為信寺を建立した。無為信房寂後、子孫が断絶した為
本山預かりとなっていた。

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無為信寺 真宗大谷派の寺院。開祖である親鸞聖人の高弟
であった「無為信房」を開基として宝暦10年(1760)に水原の
大地主であった佐藤藤伊左衛門(和泉屋)が幕府の許可を
得て水原に中興したものです。

江戸時代後期から明治初期にかけて「徳龍」「行忠」の二人の
高僧を相次いで輩出しました。

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この二僧は東本願寺の講師を務め、特に「徳龍」は唯識
(仏教哲学)の分野では第一人者と称されました。
二人をたたえ、境内には荘重な墓碑が建立されています。

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また国指定文化財『金剛頂経曼珠室利菩薩五字心陀羅尼品』
(こんごうちょうきょうしりごじしんだらにほん)『悉曇集記上下』
(しったんしゅうきじょうちゅう)『藤原氏系図』の三点、
県指定文化財『古論草』『方便法身尊像』の二点をはじめ、
貴重な文化財が所蔵されています。   水原町教育委員会

今日は古刹の歴史と雰囲気に浸ることができました。(おわり)

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コメント

いろいろ親鸞聖人の歩かれた史跡をたどりそれに纏わる逸話、「八つ房梅」や
「徳龍」「行忠」の二人の高僧を相次いで輩出した越後に
少し誇りのようなものを感じました。
ホントに詳しく調べられており驚いています。
今まで知らなかった世界を垣間見た感じです。
FUKU様こんばんわ。コメントありがとうございます。新しい場所を訪ね歩くってのは何かワクワクしますね。
それにしても昔の人には偉い人がいっぱいいたのですねー。ちょっと感動しています。

投稿: FUKU | 2012年4月13日 (金) 11時19分

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