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2012年5月12日 (土)

ジャズ聴きはレトロ趣味?

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ジャケット(左)はMDの恋人シシリー・タイソン、(右)は
マイルス本人だ。もともと別のジャケットだけど並べて
みると何か意味ありそうで面白い。

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今、「老後の楽しみ」として再びジャズが見直されて
いるという。ジャズ喫茶って日本だけにしかないらしい。

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レトロな店で真空管のオーディオ装置でアナログ盤を
じっくりと聴くなんて、ちょっといい趣味だと思う。

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『完本 マイルス・ディビス自叙伝』マイルス・ディビス/
クインシー・トループ著 中山康樹訳 を読んでみた。

詩人クインシー・トループが3日間マイルスにインタビュー
した記録をもとに書いたのだ。マイルスの声が載っている。
よくもここまで、仔細にマイルスの話を引き出したものだ。
手腕が光る。

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マイルスがどのように感じ、何を考えていたのか?
メンバーとどのようなやり取りがあったのか?
つぶさに教えてくれるのだから。

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「髪をアフロにしてすごく知的だっらから、強い印象を
受けたんだ。1967年に「ソーサラー」を作った時は
彼女の顔をジャケットにした。それで、それまで知ら
なかった連中にも、オレの付き合いのことが分かった
んだ。」 
 (自叙伝)

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「1967年の5月にニューヨークに戻って、「ソーサラー」
をレコーディングするまでずっと西海岸で演奏していた。
ロン・カーターもスタジオには戻ってきて、6月には3日間
で次の「ネフェルティティ」もレコーディングした。
今度はオレの顔のアップをジャケットに使った。

人々が作曲家としてウェインのすごさに本当に気づき
はじめたのも、「ネフェルティティ」からだった」。
 (自叙伝)

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マイルス・バンドは1964年(昭和39年)7月初来日した。
日本公演は大成功だった。9月からウェイン・ショーター
(ts)が正式参加して第2次クィンテットが結成された。

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M・ディビス(tp)、W・ショーター(ts)、H・ハンコック(p)
R・カーター(b)、T・ウィリアムス(ds)最強メンバーは“黄金
クィンテット”と呼ばれた。

「オレには、必要なものがすべて揃っていた。オレがこの
バンドのインスピレーションであり、知恵であり、つなぎ役
だとしたら、トニーは創造的なひらめき、火花で、ウェイン
はアイデアの源泉で、いろんなアイデアを形を与え、
ロンとハービーは全体をまとめていた。オレは全員を
一緒にしただけの、ただのリーダーだった」 
  (P429)

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「ソーサラー」のオープニングはW・ショーターの曲
「プリンス・オブ・ダークネス」(闇の王子はマイルス
の愛称だ)で始まる。リクエストが多くて人気があった。

続いて「ビー・ウィー」はT・ウィリアムスのオリジナルで
マイルス抜きのカルテット演奏に入っていくのだ。

彼らに自由に思う存分演奏させながら、肝心の手綱はちゃんと
絞って、最後は「マイルスの音楽」に仕上げていく手並みは
まさに『ソーサラー』(魔術師マイルス)なのだ。

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「マイルスがネフェルティティに注目したのは1964年
ウェイン・ショーターを獲得してベルリンに公演したおり
当時はまだ西独東独が分断されていた時代だが、

ベルリン・エジプト博物館で紀元前14世紀のこの美妃
を見たためだろうと俺は想像している。

片方の眼から眼球の欠けた古代美人像だ。マイルスと
ショーターにはショックだっただろう。

だからショーターは後、「ネフェルティティ」という作品を
作る。アドリブのない花から花形が滲み出るようなこの
美しい曲は、アクナトン帝とネフェルティティが寄り添う
壁画から発想されたものだろう」


(平岡正明・マイルス 最後の10年を引文)

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1967年(昭和42年)にはもう一つ別の出来事が起きた。
J・コルトレーンが突然死んだのだ。

「1967年の7月にジョン・コルトレーンが死んで、みんなを
大混乱に陥れた。トレーンが死ぬなんて誰も考えていなか
ったから、大変なショックだった。

トレーンの音楽と、彼が最後の2、3年間にしていた演奏は
多くの黒人にとって、特に若い黒人の知識層や革命論者の
間では彼らが感じていた炎、情熱、激情、怒り、反抗と愛情
を代弁するものだった。
トレーンはそういう人々のジャズにおけるリーダーで、オレ
より先を行っていた。」 
  (P450)

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1967年(昭和42年)は意味がある。俺らは高校生でこの頃
ジャズを聴き始めた。

ベトナム戦争があり中国では文化大革命が起こった。
アメリカも日本も「政治の季節」だった。
当然ジャズシーンもその影響を受けた。

M・ディビスを頂点とする主流派とJ・コルトレーンが肩入れ
したフリージャズ派が並立する構図だった。

日本のジャズ喫茶ではJ・コルトレーンの過激な演奏が支持
された。その重要人物が突然死んでしまったのだ。

ジャズシーンはこの後一時混迷状態に陥った。
マイルス・ディビスがエレクトリック路線を強行したことが混乱
に拍車を掛けることになった。

話せば長くなる。この続きはまた後で書くことにしよう。

(おわり)

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