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2012年7月 7日 (土)

しゃくなげ色考(臼田亜浪のこと)

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「郭公や何処まで行かば人に逢はむ
(大正13年『亜浪句鈔』)叙情性に溢れた名句ですね。
情景が広がります。

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「石楠花に手を触れしめず霧通ふ」
(大正12年、関東大震災起こる。亜浪45歳)

臼田亜浪、明治12年(1879)長野県小諸町生まれ。
本名卯一郎。後、亜浪と号します。「亞」=卯と一を
縮めて亞の一字とし、「浪」=郎を充ててたもの
だそうです。別号は「石楠」と言います。

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「石楠」の号は14、5の頃、浅間山に登った時に見た
石楠花の美しさに心打たれたことに由来するようです。
郷土愛や自然観の象徴としたのでしょうか?

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大正4年(1915)37歳俳壇に復帰し俳誌「石楠」を
創刊します。当時、俳句といえばホトトギスの時代です。
俳壇の革正を標榜して俳句界に新風を送り込んだのですね。

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作風は、まことの理念にもとづいた俳句道即人間道という
姿勢に貫かれており、主観性の強いいわゆる「力の俳句」
といえるものである。
一方旺盛な批評精神で切磋琢磨しあう風潮があって
論客の多いのが特徴であって、(中略)初期にはそうした
中から多く俳人が育ち、佐野良太、原田種茅、(中略)ら
がおり、のち「石楠」の僚誌である「浜」主宰の大野林火
、(中略)らが名を連ねている。
 

(近代文学研究叢書第70巻 昭和女子大学近代文化
研究所 臼田亜浪 )

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 <拡大> 「こんこんと水は流れて花菖蒲」
「こんこんと」擬音語表現は亜浪の句の特徴ですね。

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こよなく旅を愛し、旅上の作あるいは旅を想起しての作
に秀作が多く、「大自然の偉霊に感応して詠たったもの
が多い。したがって内省的というよりも開放的である
(中略)
読むものに健康なちからとよろこびを与へる」
(大野林火「臼田亜浪先生」浜 昭27・2)

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昭和 になると旅に明け暮れる日が多くなり、北は北海道、
樺太、南は九州から朝鮮、満州と巡歴を重ねます。
これらの旅の中で旺盛な作句活動が展開されたのです。

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昭和5年5月下旬に山陰北陸の旅に出ます。
我が新潟県にも足跡を残しているのです。

昭和5年6月23日 新潟毎日新聞・記事(著作年表)
「橋広し水を隔てて蘆青く 亜浪氏の眼に映った
信濃川の印象」
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昭和5年(1930)亜浪52歳
 長岡(良太出迎え)を経て見附駅下車良太居に
旅装を解く。弥彦行には砂丘、白朗、流葉史、
天籟等を伴う。
新潟大会。瀬波温泉(同行良太、流葉史)笹川流れ、
温海を巡りて柏崎へ。直江津に遊び高田の大会に
臨む。高田を発って(良太田口まで同車)長野に着す。
(臼田亜浪全句集・年譜) 

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昭和8年(1933) 3月下旬、新潟毎日新聞・記事ー
「みのむし発刊20周年記念の旅」と題して
臼田亜浪が新聞俳壇に選者として招聘された。


昭和8年(1933)亜浪55歳
 3月下旬新潟県今町に於ける「みのむしの会」
20周年記念大会に鐘一路を携えて臨む。
帰途良太と水上温泉に遊ぶ。(臼田亜浪全句集・年譜) 


昭和11年7月に越後と佐渡を旅しています。

昭和11年(1936)亜浪58歳

長岡にて良太夫妻に迎えられ今町に至り悠久山に登る。
良太、朗々史、東道にて福島潟舟遊。葛塚句会。
新潟より乗船し佐渡の両津に着く。船で探勝後相川に
至り鉱山へ登る。車で島内旧蹟を車で巡覧、加茂湖を
渡って両津へ戻る。新潟よりの帰途良太と相携へて
水上に寛ぎ、一週日にて帰京。
(臼田亜浪全句集・年譜) 

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昭和初期は政情が不安定の暗い時代でした。

昭和4年(1929)に世界恐慌が起きます。

国内では昭和7年(1932)5.15事件が、
翌8年は日本が国際連盟を脱退して、世界の中で
孤立を深めて行きました。

昭和11年には2.26事件が、翌12年は支那事変
が始まり、昭和14年には第2次大戦に入って行った
のです。
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私が俳句の道に入ったのは手許の雑誌によれば
昭和12年の『河口』(石楠所属の県地方誌)8月
号(中略)からだろう。当時23歳。
(中略)昭和13年12月に直ちに『石楠』に入会した筈だ。
以後直接、臼田亜浪先生や佐野良太先生、甲田鐘一路
先生、原田種茅先生のご指導を受けた。

(中略)臼井石楠会の面々と夜毎句座を連ねて、喧々
諤々深更にいたるも辞さない有様であった。

戦時下のこととて、いつ赤紙(召集令状)がくるかも
知れない毎日を、「その時はその時さ」と唯一俳句に
没頭した日々。まさに俳句は当時の私たちにとって
唯一の「青春」であった。(大竹是公遺稿句集)


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亜浪は俳句道即ち人間道の俳論を唱えました。
俳句を求める心の第一義は人間の完成、人格
の渾成であるとして、技術よりも「心のまこと」を
標榜したのです。

この時期に句作を目指す多くの人たちに支持を
受けました。全国各地に俳誌『石楠』の支部が
立上ります。その弟子の数は3000人に及ぶ
大結社へと成長して行くのです。


亜浪が浅間山で見た石楠花の印象とはどんなもの
だったのでしょうか?
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つつじ科つつじ属。学名はロードデンドロン。
ギリシャ語のロードン(バラ)+デンドロン(樹木)
が語源です。
ネパールの国花、福島県と滋賀県の県花
にもなっています。
でも石楠花は有毒植物なのですね。
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佐渡に咲く石楠花はハクサンシャクナゲです。

ハクサンシャクナゲは常緑広葉樹です。
葉の裏側を筒状にして極寒から身を守り
越冬します。
美しさと強かさと逞しさをの3条件を兼ね備えては
鬼に金棒ですね。

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石楠花はまた、蜜源植物の1つです。
蜜源植物とはミツバチが蜂蜜を作るため
に花から蜜を集める植物のことです。

昔トルコではローマ軍の侵攻をこの蜂蜜で
防いだという伝説が残っているそうです。
道路脇にハチミツの入った壷をぶら下げて置き、
進軍してきた兵士がこれを食べ、食毒が回って
酔ったところを襲ったとか。

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街角で見かける石楠花は西洋シャクナゲかも
しれませんね。

分布は広範囲で北半球のヒマラヤから南半球の
ニューギニア、オーストラリアに及びます。
種類は多岐にわたり変種が多いのです。

西洋シャクナゲは園芸用に品種改良され種類は
数千種に及ぶそうです。

特徴は派手、豪華。花木の王といわれます。
誕生花は6月5日
花言葉は威厳、荘厳です。

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<拡大>(写真は夏の苗場山)

♪夏が来れば思い出す はるかな尾瀬
遠い空 (中略)しゃくなげ色に黄昏れる
はるかな尾瀬 遠い空

『夏の思い出』(作詞:江間章子 作曲:中田喜直)

やっと本題にたどり着きましたー。

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ブログ名の由来は山の歌の歌詞にあやかった
訳ではないのですよ。

昭和初期の暗い時代に日本全国を駆け巡り
革新と向上の作句を謳い、若者の情熱を一手に
引き受けた、亜浪とはどんな人だったのだろうか?

全国各地に「大石楠」の弟子たち3000人を
育成した亜浪の魅力って何だったのだろうか?
ってね。

亜浪の世界を覗いて見たかったのですよ。

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「朱に交われば赤くなる」という諺(ことわざ)
のように「石楠」の色に染まってみたいと
思ったのです。

(おわり)


〔亜浪句碑〕

鵯(ひよどり)のそれきり啼かず雪の暮
(製作 大正9年1月 場所 相模中津 )

夕凪や浜蜻蛉につつまれて
(大正14年8月 三河国江比間)

そのむかし代々木の月のほととぎす
(昭和8年6月 東京代々木八幡神社境内)

郭公や薬師立たせる山の霧
(昭和9年6月 浅間山菱野鉱泉)

 

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コメント

いやぁ~~
眼からうろこでした!

「しゃくなげ色」様の由来、臼田亜浪の事、全く知りませんでした。
いろいろ勉強させて頂きました。
しゃくなげい色様も俳句を作られるのですか?
5・7・5の短い文字の中に季節と、宇宙と自分の気持ちを織り交ぜる俳句。
本当に、本当に奥深く、時として、投げ出したくなります。
が、投げ出さず、構えず、焦らずに続けたいと思っております。

noritan様 おはようございます。芭蕉の時代から俳句って実に奥が深いですよねー。亜浪の言うように「俳句道即ち人間道」ですからね。<投げ出さず、構えず、焦らずに頑張って下さい。小生も多作(駄作)多捨で行きたいものです。

投稿: noritan | 2012年7月10日 (火) 05時09分

「しゃくなげ色」の由来が解りました、私はてっきり「夏の思い出」からかと思いましたが!「臼田亜浪」初めて知りました。なかなか奥深いですね!

静岡の岳人さん こんばんわー。えっへへへー。ちょっとカッコ付けちゃったみたいで済みませ~ん。でも亜浪の句って力強いって言うか。当時の若者たちを惹きつけて止まない魅力に溢れてたんでしょうねー。

投稿: 静岡の岳人 | 2012年7月18日 (水) 07時52分

かつて俳句山脈の一つであった亜浪の石楠について。
興味深い話題を拝読いたしました。
祖父の青柳菁々は、石楠の最高幹部同人でした。
今や忘れ去られた感のある亜浪と石楠ですが、時々は思い出したいものですね。
以下のサイトなど、お暇な折に覗いて見て下さい。
http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/guest/charm/aoyagiseisei.html

ぽっぽ堂様 お立ち寄りありがとうございます。早速御祖父様の佳句を鑑賞させていただきました。昔新潟の農村部では青年会が中心になって石楠会で活発に句作に励んだものだと父によく聞かされました。俳句文化も成熟して多岐にわたっていますが、やはり物故者の名句に学ぶことって多いですね。

投稿: ぽっぽ堂 | 2015年4月 6日 (月) 08時29分

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