朝日連峰・以東岳に登る(2日目)

早朝3時起床、4時出発です。外はまだ真っ暗です。
天頂に晩秋の星座プレアデス(スバル星)が
輝いていました。

ヘッデンで足元を照らしながら登ります。東の空が
だんだん白んできました。

日の出です。

昇る朝日に周囲が明るくなってきました。

草花にも恵みの朝日が注がれます。

大きな月山が姿を現しました。
振り返ると三角峰も赤く染まり出しました。

対岸の西沢峰にオツボ峰の影が投影されました。
<拡大>オツボ峰から大鳥池が見えました。
「ー大鳥の民家の南東凡そ四里に在り。
池は歪形なれど方一里許り。湖南の大嶽
を以東と云い、標高1600余㍍、越後三面谷
へ跨る。ー」 大日本地名辞書
(藤島玄 著 越後の山旅・上巻)

戸立山と茶畑山(奥)
<拡大>
左奥のとんがりは大朝日岳でしょうか?主脈縦走路
が視野に入って来ました。
大朝日から主脈縦走路といえば「朝日軍道」の歴史
は有名ですね。

時は天下統一がなった豊臣秀吉の時代です。
慶長3年(1598)越後領主・上杉景勝は会津
移封を秀吉に命じられました。

120万石の所領は広大です。会津から庄内に
往く最短コースの六十里越は宿敵・最上義光が
、越後へ下る大里峠は新領主・堀秀治が押さえ
ています。

この難題を解決する為、米沢城を居城に置賜を
領有した直江山城守兼続は置賜ー庄内の直通道路
の開削に着手、苦労の末に1年あまりで完成させた
のでした。

それは朝日連峰の峰を伝い、途中麓に降りることなく
兵馬が通れる軍事道路を開削するというものです。

ルートは草岡(長井町)から葉山ー大朝日岳ー以東岳
ー大鳥池ー茶畑山ー鱒渕(鶴岡市)まで全長65Kmに
及ぶ山岳縦貫路でした。

工事は当然、秘密裏に進められたのですが、余りに
大工事となった為早晩敵方に知られることになります。

この軍道が歴史上に登場するのは「関が原の戦い」と
同時に起きた「慶長出羽合戦」の時です。

上杉方の酒田城主・志田修理義光は大井川から
大朝日岳を通り、11月の冠雪した「朝日軍道」を
進軍して米沢城に帰還を果たしたのです。

しかし「関が原の戦い」で豊臣方についた上杉氏は
敗戦の仕置によって所領を削られ、米沢30万石
のみとなってしまったのです。

こうして庄内地方と連絡する「朝日軍道」はもう必要
がなくなってしまったのです。

古(いにしえ)に思いを馳せているうちに以東岳に
到着です。ここで朝食にしました。
遠くに光兎山が見えました。

このあとコースは直登尾根を下りました。登山道の
崩壊は深刻な状況です。至る所で補修箇所を見ました。


ボランティアさんの地道な修復作業に頭が下がります。


東沢出合まで一気に下りました。稜線上は
寒いくらいだったのに下界はうだる暑さです。

大鳥池は干上がって水際が後退していました。

小屋に立ち寄り、往路を戻りました。
(おわり)
9/14 1日目 歩程 3時間20分(休憩含む)
9/15 2日目 10時間
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コメント
おはようございます。ウーン歴史小説を読んでる感じです。下界との気温の差、よくわかります。
KAZUさん こんばんわ。朝日連峰が歴史の舞台になった時代があったのですねー。スケールの大きさには圧倒されそうです。昨日まで暑さがうそのように今日は涼しかったですね。そろそろホントに秋になるのでしょうか?
投稿: kazu1954 | 2012年9月20日 (木) 09時24分
お茶畑が無いのに茶畑山の名前の山が有るんですね!静岡の里山はみな茶畑山です!
静岡の岳人さん こんばんわ。茶畑山方面は道がないのです。雪解けまで沢筋は雪崩で通行できないので、残雪期に縦走コースになるようです。稜線は茶畑みたいに、なだらかな山容なのです。
投稿: 静岡の岳人 | 2012年9月24日 (月) 09時57分
昨日の標柱設置作業、お疲れさんでした。また、以東岳でもお世話になりました。
朝日軍道のうち、草岡~葉山は来月末に会山行で登ります。
土木機械の無い時代に、よくぞここまでやったなぁと思う遺物が各地にありますね。
この軍道も歴史に翻弄されて短命でした。コストパフォーマンスを考えると、虚しくなります。現代だったら、会計検査&国会でかなりモメそうですね。(笑い)
山いろいろ様こんばんわ。訪問ありがとうございます。五頭山標柱設置お疲れ様でした。流石に建設行政にはお詳しい。朝日軍道の葉山行ってみたいですー。佐々成政のザラザラ越えとか戦国時代の史実を辿って山歩きをする企画って興味湧きますねー。
投稿: 山いろいろ | 2012年9月28日 (金) 08時52分