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2012年12月 6日 (木)

「能楽講座」に行く(りゅうとぴあ能楽堂)

Img_881812月1日(土)雨
今日は歌人・馬場あき子の「能楽の愉しみ」講座
・「船弁慶」を観にリュウトピアに行きました。

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大荒れにもかかわらず能楽堂は着飾った
和服姿のご婦人方や年配の観客で大入り満員です。
新潟のリッチマンの方々の社交場のようですね。
場違いな所へ来てしまったと後悔したのですが、
興味の方がちょっと勝っていたかもしれませんね。
先日、平家琵琶の語りを聴いてから俄かに平曲
に興味が湧いて、インターネットでたまたま
見つけた公演を観にここへやって来たという訳です。
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友人から「謡曲平家物語」白洲正子著(講談社)に
平曲が詳しく載っていると聞いてさっそく図書館で
借りて来て読み始めたのです。

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今日のテーマは能・「船弁慶」です。

前シテ   静御前
後シテ   平知盛の霊
子方    源義経
ワキ    武蔵坊弁慶
ワキツレ  義経の従者
アイ     船頭

場所    摂津国・大物浦(現・尼崎市)
季節    11月
作者    観世小次郎信光

五番目物・猛将物・太鼓物

(手渡された解説書より)

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「大そう人気のあるお能で、作者は観世小次郎信光
と伝えている。ふつうと少し違っているのは、前シテは
静御前、後シテが知盛であることで、前後がまったく
別人であるというのは珍しい。
文治元年(1185)11月、頼朝の不興をこうむった
義経は都を落ちて西国へ向おうとした。摂津の国
大物の浦(西ノ宮の東)から船出したが、西風が
強くて、船は住吉の浦に吹きかえされ、義経一行は
やむなく吉野へ落ちのびる。都から連れて来た女房
達は、そこに置き去りにされ、渚にひれ伏して泣いて
いるのを住吉の神官が助け、都へ送りかえしたと
伝えている。」
(「謡曲平家物語」)

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TV大河ドラマ「平清盛」も佳境に入って来ましたね。
今週日曜日の放送では頼朝が以仁王の令旨(りょうじ)
を奉じて伊豆で挙兵しますが、石橋山の合戦で大敗を
喫してしまいます。
潰走して山中の岩屋に隠れていたところを梶原景時の
寝返りで、寸でのところで危機を脱出しました。

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安房で再挙して、富士川の合戦で大勝を勝ち取った
頼朝は、奥州平泉から手勢70騎を引き連れて馳せ
参じた義経と黄瀬川の陣で涙の再会をします。
平氏打倒を誓いあった義経は頼朝の名代として
上洛し、いよいよ平氏倒滅の進軍が開始され
ました。
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世に名高い一ノ谷の戦い・鵯越(ひよどりごえ)の断崖
絶壁を郎党70騎とともに駆け下り、平氏の背後をつ
いて大勝に導きます。
大混乱に陥った平氏は海上に逃げて、屋島へ避難し
たのです。
大船団を擁して体勢を立て直した平氏は屋島の海戦
に臨みます。
平曲に謡われた那須与一が馬を海に乗り入れて扇
の的を射抜く場面ですね。

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圧倒的な軍船を有していた平氏でしたが、船を持たぬ
源氏方の佐々木盛綱の大活躍で、この戦にも大敗して
しまいました。

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平曲に謡われる「先帝御入水」の段を迎えるのです。
平氏にはこのあと壇ノ浦での過酷な運命が待ち構
えていました。
一方、平家倒滅の大功労者となった義経は後白河法皇
から検非違使少尉従五位下(判官)
(けんびいしのじょうじゅごいげ)に叙せられます。
しかし、兄頼朝の許可を得ないまま叙官を受けたことや、
兎角の独断専行が災いして兄頼朝から不興を買って
しまいます。

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石橋山の合戦で寝返りによって危機を救われた
頼朝は梶原景時に恩義を感じていました。
鎌倉幕府で重用されていた「梶原の讒言」で
義経は一転窮地に陥ってしまうのです。

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あらすじも、ようやく今日のテーマの能「船弁慶」
の場面まで辿りついたようです。

「「船弁慶」の前シテは静御前で、後シテは怨霊
伝説を題材にしている。義経は子方(子役)で、
落ち目になってからの「判官殿」は、そういう形で
表されることが多い。ワキはいうまでもなく弁慶で
、他に従者を数人従えて登場する。一行は大物
浦から船出する所で、それまで付き従っていた
静御前を、弁慶は都へ還すことを進言する。
静は悲しむが、ここに至ってはどうすることも
できない。泣く泣く別れの盃を取り交わし、
義経の前途を祈って舞を舞う。」
(「謡曲平家物語」)

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本を読んで予備知識を詰め込んで出かけたつもり
だったのですが、能の詞章は難しくて、正直、さっぱり
分かりません。
ガランとした能舞台に豪華な能装束を纏って小面を
つけた静御前が現れると、もうすっかり引き込まれて
しまいました。
地謡にあわせて曲舞(クセ)を舞う姿は優美です。
囃子方の「やっ」「はっ」「いやーっ」の掛け声は緊張感
があってスッごく魅力的でしたね。

撮影禁止なので公演中の写真はありません。

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緊張しっぱなしの2時間はあっという間に
過ぎてしまいました。
緊張の後ってお腹が空くのですねー。

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最近ラーメンづいているのですよ。
東堀に出て青島ラーメンを食べて帰りました。
美味しかったです。

(おわり)

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コメント

青島のラーメン、美味しそうですね。
本店長岡の有名ラーメン店、新潟市にも確か2店舗ありますね。
ラーメンの画像、熱いのか曇っていますね。カメラを一度別の方向を向いて作動させ、それからラーメンに向けてピントを合わせ、瞬時にシッターを押すと曇らないですよ。やってみて。

越後の寅次郎様 こんばんわ。訪問ありがとうございます。宮内駅前の青島食堂で食べてからはまってます。醤油ベースのスープが旨いですねー。寒い外から店内に入るとレンズが曇っちゃって拭いてもなかなか取れないのに閉口していたのですよ。今度寅次郎さんの技を試してみます。

投稿: 越後の寅次郎 | 2012年12月 7日 (金) 08時10分

あの梶原景時の最後ご存知ですか?1199年に鎌倉幕府を追放されて、静岡市の梶原山(300m)で親子討ち死にです。梶原山公園に追悼碑があり、山の近所には討ち取った入江一族、吉川、飯田、渋川、船越など駿河武士の名前が地名に残っています。その後も駿河の国はなかなか歴史では重要な国です。

静岡の岳人さん こんばんわ。いつもコメントありがとうございます。梶原山に梶原山公園という所があるのですね。駿河は坂東武者の本場でしたね。鎌倉幕府の家臣団への粛清は過酷だったのですね。いゃー勉強になります。機会があったらゆっくり歩いてみたいです。

投稿: 静岡の岳人 | 2012年12月 7日 (金) 13時06分

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