古寺巡礼(スタンプ・ラリー)
「暑さ寒さも彼岸まで」。水も温るみ草木も元気を出す頃です。
すごいショットでしょ。このスイセンのパワーには驚きました。
アスファルトを押し上げて地上に出てきたようです。
いい場面を目撃しました。
「彼岸」とはサンスクリット語の「波羅密多」(パーラミッタ)から
来たものといわれます。煩悩と迷いの世界である『此岸(しがん)
』に在る者が「六波羅密(ろくはらみつ)の修行をすることで「悟り
の世界」すなわち『彼岸』(ひがん)の境地へ到達することができ
るというものです。
でも、そんな修行なんてとても、とても…。という凡夫人は一体
どうすればいいの?
念仏をしなさい。特にこの彼岸の7日間は念仏に専念しなさい。
念仏三昧すれば仏に帰命できるでしょうと法然上人は言われた
とか。
『西方浄土』といいますよね。「西」は太陽の沈む方向です。夕日
の色は新潟市のシンボリックカラーでしたっけ。西は一日が終わ
って鳥も人もみんなが家路に帰る方向です。『家路』のテーマ
ソングが聞えてきそうです。春分の日は太陽が真西に沈む処から
中国の浄土教では阿弥陀仏の浄土を想って落日を礼拝したと
伝えられています。
角田山の山頂には『長者原遺跡』があります。ここは昔浄土信仰
の修法祈祷の場として造成された『紫灯塚』と推量される。と向陽
道林の案内板に書かれていました。⇒その時のレポはこちら。
太陽が真東から昇って、真西に沈み、昼と夜の長さが同じになる
春分の日を挟んだ前後3日の計7日間を『彼岸』と呼んで、この
期間に仏様の供養をすることで極楽浄土に往くことが出来ると
考えられていたのですね。
今年は彼岸の入りは3月17日。お中日が3月20日。彼岸明け
は3月23日です。
昼と夜の長さが同じになり、暑くもなく寒くもなく一番過ごしやすい
季節という意味で『中日』なのですね。
何事にも偏らない。行過ぎない。有るがまま。自然法爾(じねん
ほうに)を意識して過ごすのが彼岸の過ごし方なのですね。
『宗祖750回御遠忌』法要が今年5月に手次寺のある真宗大谷
派21組(そ)(新潟・沼垂地区)主催で行われるのです。それまで
に種々のイベントが盛り沢山にあるのですが、先ず手始めに
「新潟・沼垂 しんらんさん歩スタンプラリー」に参加することに
しました。
「しんらんさん親鸞聖人」の足跡をたどって新潟・沼垂地区のお寺
さん21ケ寺巡りをするのです。
スタートは関屋の念仏寺からです。念仏寺は正式には「齋藤山
妙定院念仏寺」というのですね。「齋藤山」と山号にあるように
関屋村大庄屋の齋藤家が慶安元年(1648)妙定院として創設
したお寺なのです。
明治初年に時の住職教信さんが改宗して真宗に転派して現在
に至る。とあります。(「しんらんさん歩」)
毎朝、念仏寺様の前を通るので親しみのあるお寺さんです。
念仏寺には親戚のお墓があるので、いつも墓参のコースに入って
いるのですが、春彼岸には決まって「特製おはぎ」が振舞われるの
です。これを楽しみに参詣に来る人も多いようですね。
3月25日(月)ラリー2日目
西堀通りの寺町の列の一番目に位置している真宗本願寺派
光會山 本浄寺を訪れました。自分の家の手次寺以外には
縁がなくて、いつもは前を素通りしていたのに、他所のお寺様
にも参詣できる機会が持てたのはありがたいことです。
寺門の左右に白象が構えています。白象は神の使いなのです。
お釈迦様は白象の姿になって摩椰夫人(マヤブニン)の胎内に
入って誕生されたと、伝えられています。4月8日はお釈迦様の
誕生日です。
幼い頃、4月8日は近所のお寺で白象の山車が出たのです。
誕生仏に甘茶をかけて花で飾るのです。稚児行列の子供たち
が、白象の山車を皆で引っ張って町内を歩いたことをおぼろげ
ながら覚えています。
「本浄寺は永禄5年(1562年)加賀国大聖寺現在の石川県
加賀市「大聖寺」の地において元加州藩士が開基しました。
元加州藩士は蓮如上人の弟子となり「信解」という名前
を賜り加州大聖寺に一宇を建立し本浄寺と称しました。
その後、この地で起きた戦乱を避けて寛永7年(1630年)新
潟に移転し今日に至っています。」(由来書)
歴史年表を見ると元和4年(1618年)新潟市域の堀直竒(ほり
なおより)領が牧野忠成(長岡藩初代藩主)領になります。平野
部の新田開発が飛躍的に進みました。多くの新田(しんでん)
が成立。とあります。(新津の歴史・どっと混む)
新田開発に多くの人が他国領(隣国の加賀国、信濃国)から流
入して村造りのヤル気が漲り活況を呈していた頃ですね。
働く村人の精神的拠り所となる真宗寺院がこの時期に呼応して
教線拡大のため入国したものでしょうか。当時の文化都市
だった加賀や信濃から新開の越後へ新天地を求めて人も寺院
も夢膨らませて入国したのでしょうね。きっと。
昔は新潟から長岡までは海だったとか。新津や古津の地名は
その名残でしょうか?雨が降ると信濃川が氾濫して水はけが
悪く、悪水が溜まって沼地が多かったといいます。
人が集まり、沼沢地の埋め立て開墾が進みます。川の自然堤
防上に集落が形成されていきます。近世に入ると集落の中心
に布教道場が立ち、信者が増え、やがて寺院に成長していった
のでしょうか?
歴史年表に「慶安2年(1649年)笹川家が村上藩味方組の
大庄屋に任命される。」とあります。(新津の歴史・どっと混む)
⇒その時のレポはこちら。
次に参詣するのはお隣の真宗大谷派 實源山 真浄寺です。
山門が古風で立派ですね。
「真浄寺の歴史 親鸞聖人から法名を賜った明慶安坊が建暦
2年(1212年)信州赤沼(長野市)に堂宇を建立した。川中島合
戦など度々の戦火で各地を転々とし、慶長2年(1597年)新潟
に移住、元和元年(1615)当地に移転した。本堂は天明6年
(1786年)10月、200両の工費で建立され、西堀寺町での中
では最古級に属する。」と山門前の案内板に書いてあります。
慶長2年とありますから慶長の役(挑戦出兵)の始まった年に
新潟に移転したのですね。翌3年、豊臣秀吉が死去します。
本堂が建立されたのが天明6年(1786年)と云うと田沼意次
が解任された頃です。天明の大飢饉が起こりました。天明3年
には浅間山の大噴火がありました。天変地異が続き政治は
混迷していました。どうも、今の時代に似ていますね。
本堂は年代を感じさせる堂々の建築物です。柱の彫刻が素晴ら
しいです。参道の石燈籠に「天保5年」の文字が読み取れます。
古刹の雰囲気を感じます。
3番目に訪れたのは真宗大谷派 富澤山 超願寺です。
「超願寺の歴史 初め加賀国(石川県)に真言寺院として開基。
後に法印栄智が、吉崎御坊(福井県あわら市)で本願寺蓮如
上人の直弟子となり浄土真宗に改宗した。その後、佐渡、五十
嵐浜(西区)から三転して元和5年(1619年)新潟に移転した。」
歴史上では元和元年に大阪夏の陣が終わり、徳川時代が始動
し始めたばかりの頃、戦国時代の気風がまだおさまり切らない頃
に新潟に移転したのですね。
今日は3ケ寺を巡りました。どのお寺様も新潟へ移転してから
400年以上の歴史を経てきた古刹ばかりです。
3月26日(火)ラリー3日目
今日最初に訪れるのは浄土真宗本願寺派 伊南山 光林寺
です。
中央区西堀通5番町 光林寺の歴史(参考:新潟県寺院名鑑)
「慶長の初め加藤清正の重臣中山五郎左衛門清定が会津若松
に一宇を建立した。円乗という僧を迎えて住職とし、寺号を伊南
山 光林寺とした。慶長12年(1607年)新潟町に移転した。」
「明治41年の大火で本堂が焼けたため、「燃えないお寺を」とい
うことで、大正15年、当時では最先端の鉄筋コンクリートのモダ
ンな造りになった。新潟市内では現存する最古の建物だという。」
(しんらんさん歩)
「昭和10年に寺の前に小林百貨店(現在の三越)が建てられ、
高層化も進んだためビル群に隠れるような格好になった。」
そうです。(しんらんさん歩)
庭園の清掃が行き届いて気持ちがいい境内です。今日2番目
に訪問する先は西堀通7番町にある真宗大谷派對嶽山 正福
寺です。
正福寺の歴史(参考:新潟県寺院名鑑)
「創立年代は定かではないが、常陸国(茨城県)那珂西郡中田
村に創立、開基は親鸞聖人の直弟子教念という。その後信濃国
(高井郡和田村や袋津村(江南区)曽川村(江南区)と移った後
慶長年中(1596~1615)第13世明覚の時、新潟町へ移った。
」とあります。
「施蘭薬院跡」の石碑が寺門の前に建っています。
新潟で最初の西洋医療が行われたことを記念する石碑です。
立派な扁額ですね。「對嶽山」が山号ですね。
『「山号」(さんごう)とは「寺院の名の上につける別称。初めは
寺院の所在地の山名によったが、鎌倉時代以降は平地の寺院
にも及び、別称として一般化した。「身延山久遠寺」の「身延山」
、「東叡山寛永寺」の「東叡山」の類。」』(三省堂 大辞林)
仏教で説く他界観では、死後の霊魂が赴く聖地は初め山中他界
を表象していましたが、鎌倉時代以降、浄土教が民間に浸透した
ことに伴い、近世に下って多くの寺院が創建されるようになると、
お寺に付属する墓地が里にある山地とともに聖地とされるように
なります。
従ってお寺(聖地)の入口にある門のことを山門と云うのもその
ためですね。
(蓮如上人像 勝念寺)
関屋本村の念仏寺からスタートしたスタンプラリーは西堀通の
寺町を上から順に下って7番町の正福寺まで7ケ寺を巡って
来ました。
下町(しもまち)のお寺様巡りは後編で書くことにします。
(前編 おわり)
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コメント
おはようございます。正福寺は母方のお寺で、隣接する勝念寺をお盆の頃お参りしています。光林寺は、そう言えば子供の頃から鉄骨鉄筋でお寺らしくないなあと思っていました。鉄骨鉄筋の背景が今、漸くわかりました。
kazu1954さん こんばんわ。kazuさんは正福寺様をよくご存知なのですね。ラリーで毎日通って1週間懸かりました。どの寺院も古い歴史があって、新潟の町を再認識させられました。下町と沼垂の町をゆっくり歩いたのは今回が初めてです。別世界に迷込んだみたいで妙な体験でした。そんなことを思い出しながら、後編を書いてみたいと思っています。
投稿: kazu1954 | 2013年4月 4日 (木) 09時49分
こうしたスタンプラリーがある事を初めて知りました。しかも何コースかあるようで?
それにしてもマメに寺参り、いずれ成仏間違いなしでしょう。尊敬ものです。
いずれは寺回りもいいと思いますが、自分は同じ山号でも今は登山対象がいいなぁ。
取りあえず、こうして見せて頂くだけで、なんとか浄土へ行けないもんか?。
山いろいろ様 おはようございます。コメントありがとうございます。葬式仏教のお寺などと云われるので、若手住職連は危機感を持っていてイメージ回復に皆一生懸命ですね。小生も浄土成仏を考えるのはまだ先の話ですが、ヤブ山に登ると、峰の一つ一つにも名前が着いていて、山頂には祠があったりと、宗教と生活が一体だった時代があったことに気づかされますね。先人の足跡を辿って往古に思いを馳せるなんて面白いと思いませんか?
投稿: 山いろいろ | 2013年4月 5日 (金) 10時39分
古寺巡礼(スタンプラリー)ご苦労様です!信心深い事でさぞかしご利益が有ることでしょう!しかしこの様に古寺巡礼すれば心も洗われまた違った自分を見つける事が出来るでしょう。でも百名山を登るのもまた良い事ですね!
静岡の岳人さん おはようございます。恥ずかしながらスタンプラリーを回っただけでは洗心内観とまではいかないのですよ。(笑)<百名山を登るのもまた良い事ですね!ー百名山を登るのと古寺巡礼と似ているように思うのですが。今度百名山を目指してみようかな。
投稿: 静岡の岳人 | 2013年4月 6日 (土) 11時00分