ラリー達成して記念品をもらう(巡礼ラリー後編)
「宗祖親鸞聖人750回御遠忌記念 新潟・沼垂しんらんさん歩
ラリー記念品 真宗大谷派三条教区21組(そ)」と熨斗紙に書
いてあります。
中身は21ケ寺の寺紋が染め抜かれた手拭(てぬぐい)でした。
「ご苦労さんでしたー。いっぱいあるから大変だったでしょう。」
手次寺の坊守様(住職の奥様)に声をかけられました。
「まだまだ記念品は沢山あるから、2回でも3回でも回ってらっ
しゃい。!」
「はぁー。ありがとうございます…。」
そんなに要りません。
昨日の日報の投書蘭に寺巡りの感想の投稿を見つけました。
「寺巡りを満喫」と出ていますね。
前編で正福寺様まで6ケ寺巡りを書きました。その後桜見に行
った時の様子のこと、勝念寺様と隣の勝楽寺様のことを書いた
ので、今日は引き続いて木揚場教会(きあげばきょうかい)から
書こうと思います。
3月26日(火)
木揚場教会はオオクラホテルの近く、礎町通りにあります。明治
時代に東本願寺の本山御影堂、阿弥陀堂の造営の為に木材集
積地として建てられました。⇒そのレポはこちら。
全国32の港に木揚場があったといいます。本山の御影堂造営
が成った後、全国の木揚場は皆消滅してしまいました。現存する
のは新潟の教会だけになったのだそうです。この教会には檀家
さんがありません。三条教区のお寺さんが順番に講師になって
定例の聞法会を開いているそうです。
ちょっと見は西洋風でキリスト教会を思わせる建築物ですね。
平成12年に国の登録有形文化財に指定されました。
3月27日(水)
今日は西堀通9番町からスタートします。長崎山真宗寺の寺門
から参道に入ってすぐ右に傳教寺(でんきょうじ)があります。
「傳教寺が寺中寺院のように真宗寺に隣接しているのは、寺町
が形成された頃、京都本山から真宗寺の塔頭(たっちゅう・通称
前寺)として「真宗隆盛に尽くすべし」という命を受けたからだ。
以後400年以上に渡って新規開拓の役割を担ってきた。ー」
(しんらんさん歩)
由緒正しいお寺さんなのですね。
参道の奥に長崎山真宗寺がありました。「鎌倉幕府も執権北条
高時の臣、長崎為基が本願寺覚如上人に帰依し、円海と称し正
平8年(1353年)加賀国能美郡長崎浜で一宇を創建し称名寺と
号した。文明2年(1470年)第5世道光が寺号を真宗寺に改め
た。第10世了心の時慶長元年(1596年)新潟町へ移住した。」
(「真宗寺の歴史」)
どのお寺さんも400年以上の歴史を抱えた古刹ばかりですね。
次はお隣の金波山鳥屋野院 蒲原浄光寺です。
寺門が金ぴかで目だっていますね。
〔蒲原浄光寺の歴史〕「寛文11年(1671年)度々の水害の為
、鳥屋野に堂宇を残し現在地へ移転する。蒲原は本願寺第9世
実如上人が本尊の背面に金波山鳥屋野院 蒲原浄光寺と添書
されたことに由来しています。」(しんらんさん歩)
東堀通り10番町まで下ってきました。下町(しもまち)界隈は風
情が残っていて、上町(かみまち)とは雰囲気の違う情緒を感じ
ます。大田山林松寺です。「開基は寛文5年(1665年)というか
ら「明暦の移転」によって新潟の寺町の原型が作られてすぐの
頃である。土蔵造りのみ堂は泉性寺境内で、鐘楼に寄り添うよ
うに建っている。長い間泉性寺の前寺として本坊を助ける関係
にあったからだー」(しんらんさん歩)
境内奥の本坊・泉性寺にお参りしました。(上)お御堂の内陣。
欄間に掛っている天女の彫り物に魅入ってしまいました。素晴
らしいの一言です。
前庭も石燈籠もしっとり落ち着いて、いい味わいです。
〔新潟の町ゆかりの歴史〕
明和5年(1768年)この寺の早鐘を合図に、新潟町民が立ち上
がった新潟明和事件は有名ですね。⇒明和義人のレポはこちら。
次は今日最後の目的地「願随寺」です。案内図を見ると、本明寺
から徒歩だと、結構離れて遠いですね。願随寺にはお盆にいつも
来るのですが、早朝に車で走るので、徒歩では今日が初めてな
のです。下町(しもまち)は小路が多くて迷ってしまいそうです。
道なりに歩いて行くと、古めかしいお堂が目に入りました。「入船
地蔵尊」(いりふねじぞうそん)と扁額がありました。ここが有名な
四ツ屋町の地蔵様ですね。今、変則四差路に立っています。
「あのー。「願随寺」様へはどう行けばいいですかー?」
通り掛りのおばさんに聞きました。
「この前の小路を真っ直ぐ行って、突き当たったら左。またその辺
で聞いた方が早いわよー。」
「はぁー。ありがとうございます。…」
どうも要領を得ませんね。
色んな町名がありますね。小路1本通る度に電柱の住所表示が
変わるのです。面白いですね。
「あのー。「願随寺」様はこの辺りですかー?」
「願随寺。願随寺ねー。あー。それ、そこの小路を戻るんだよ。」
家の前で盆栽いじりのお爺さんに教えてもらいました。
「一旦広い通りに出て、戻れば銀行の横の道に出るからー」
漸く辿り着きました。(「願随寺の歴史」)
「ーもと三島郡北村(現長岡市喜多町)にあり、真宗大谷派でし
た。明和6年(1769年)真宗仏光派に転派。安政6年(1859
年)五港開港にあたり、外国視察団の迎接所となりました。」
(しんらんさん歩)
この願随寺様まで新潟地区の18ケ所を巡り終わりました。
スタンプノートも右の沼垂地区4ケ寺を残すだけになりました。
〔新潟の寺町 沼垂〕
「沼垂町は最初は王瀬にあったそうです。その後阿賀野川が信
濃川に合流し洪水で町が浸食された為、王瀬の北に移転します。
それから14年後阿賀野川の河口が土砂で埋まり湊が遠くなった
ので大島へ移転。その11年後今度は川幅が変化し町が侵食さ
れた為蒲原村の南に移転します。しかしここも水没し貞享元年
(1684年)長嶺新田の栗ノ木川沿いの土地へ5度目の移転を
します。これが現在の沼垂の場所です。」
(しんらんさん歩)
「沼垂の寺も、町の移転と一緒に移動しました。貞享の町割りで
は東端と北端に寺町を配し、これが今の元になっています。」
(しんらんさん歩)
3月28日(火)
今日から沼垂地区を廻ります。最初はホンポート(市立図書館)
に程近い「見谷山願浄寺」です。栗ノ木バイパス沿いに寺門が
あり、そこから長ーい参道を奥に進むとモダンな建物の願浄寺
と併設する蒲原幼稚園がありました。寺伝によると天正2年
(1574年)創立。古くは金鉢山の麓にあり、山ノ下に移り現在地
へ移転したのは江戸後期とのことです。(しんらんさん歩)
3月29日(水)
今日は栗ノ木バイパスを越えて沼垂の町中を巡ります。案内図
を頼りに沼垂の町中を初めて歩くのです。何か新発見があるよ
うでワクワクします。
最初に訪問するのは玄龍山浄徳寺です。昔「上町」と呼ばれた
雁木のついた商店街の奥にありました。貞享元年(1678年)に
沼垂町の移転と共に現在地に移りました。
(上)西尊寺は(下)光照寺の「塔頭(たっちゅう)」(前寺)です。
1700年代中期、沼垂光照寺の道場として山ノ下に開基とあり
ます。
(下)光照寺 開基は上杉謙信公の家臣釈浄賢(天正9年寂)と
あります。戊辰の役の時、新政府軍の本陣になりました。現在
の本堂は昭和46年再建のモダンな建物です。
(しんらんさん歩)
本堂で坊守様に頂いた寺門入りのお煎餅は美味しかったです。
沼垂4ケ寺巡礼も済みました。スタンプ帳の20ケ寺が埋まり
ました。残すは手次寺のみです。
4月8日(月)
今日は花まつりの日です。花まつりはお釈迦様の誕生日ですね。
スタンプラリーの完結の日に合わせて手次寺の浄泉寺様に参拝
したのです。白象の山車が出て、誕生仏の甘茶懸けのイベント
があるのかと期待してきたのです。でも。誰もいませんね。
イベントの気配もありません。
ともあれ、最後のスタンプを押印してラリーは完結しました。
めでたし。目出度しです。ラリーを開始してから8日掛りました。
各寺の由緒と歴史を知るいい機会になりました。巡った寺の出
自を調べて見ました。新潟が6ケ寺、加賀が5、越前4、信州3、
会津1、常陸1、京都1計21ケ寺。宗派別では大谷派(お東)
17ケ寺、本願寺派(お西)3、仏光派1の計21ケ寺です。
開基は加賀国、越前国、信州の順に多く、宗派別では真宗大谷
派が17ケ寺で8割を占めています。
歴史を見ると、中世末期に上杉謙信が織田信長包囲網を築く為、
隣国の一向宗と和解政策を取ります。越後国へ門徒を招請した
のです。当時文化都市だった越前国、加賀国から新開地へ入植
する人たちが殺到しました。
越後国は信濃川が氾濫してできた潟や湖沼が多かったようです。
自然堤防上に集落が形成され、干拓開墾が進みました。人が
集まれば神社仏閣が必要とされます。寺院は教線拡大の為に
集落に布教の道場が建ち、次第に寺院へと成長していきました。
親鸞聖人にまつわる越後七不思議の伝説もこの頃に出来たと
云われています。⇒その時のレポはこちら。(波切名号堂、逆さ
竹、焼鮒、八房梅、つなぎ榧
上杉景勝が会津に転封になり、堀家が越後の統治者に代わる
と堀家に付き従う家来、民衆の大移動が始まり越後国への移入
に拍車が掛ります。重臣の溝口氏や村上氏が越後国に配され
村上藩や新発田藩ができました。各藩は年貢を優遇して新田
開発を奨励したので沼地湖沼の干拓開墾が一気に進みました。
信州信濃出身の笹川家が村上藩三条陣屋支配下の大庄屋に
任命されたのもこの頃のことです。⇒その時のレポはこちら。
江戸初期、三河からの譜代の牧野家が長岡藩に迎えられると
新潟町の建設が始まります。越後長岡藩の町作り政策によっ
て一箇所にまとめられて寺町が形成された歴史があったので
すね。
この8日間のお寺巡りのおかげで、いままでバラバラだった記憶
が1本の線で繋がったような気がします。
(おわり)
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コメント
スタンプラリー21寺巡礼達成おめでとうございます!親鸞聖人もさぞかし喜んでいると思います、きっとご利益がありますよ!
静岡の岳人さん おはようございます。コメントありがとうございます。ラリーは結構な人気なのですよ。1日で廻りあげたという人もいたそうです。もっとも会った人達はお婆ちゃんばかりですけどね。失礼!(笑)
投稿: 静岡の岳人 | 2013年5月 8日 (水) 07時42分
完歩おめでとうございます。21ケ寺は大したもんです。更に貴兄の裾野が広がってゆきますね。(拍手)傳教寺のご住職は当山は前寺ではないと力説しておられましたが、知識のない凡人には はーそうですかと言うより他ありません。
kazu1954さん おはようございます。いままで他所のお寺様には縁がなかったのですが、色々知る機会が持てて、いい企画だったと思います。みな400年以上の歴史を持つ古刹ばかりです。傳教寺様も由緒と永い歴史のあるお寺様なのですね。
投稿: kazu1954 | 2013年5月 8日 (水) 10時17分