« マンダロク山へ下見に行く | トップページ | GWあれこれ(畑、山、山菜採りの愉しみ) »

2013年5月 6日 (月)

ラリー達成して記念品をもらう(巡礼ラリー後編)

Img_2445<拡大>
4月25日(木)晴れ
21ケ寺巡りのスタンプラリーを完了したので
記念品をもらってきました。妻のと二人分です。

Img_2447

「宗祖親鸞聖人750回御遠忌記念 新潟・沼垂しんらんさん歩
ラリー記念品 真宗大谷派三条教区21組(そ)」と熨斗紙に書
いてあります。
中身は21ケ寺の寺紋が染め抜かれた手拭(てぬぐい)でした。

「ご苦労さんでしたー。いっぱいあるから大変だったでしょう。」
手次寺の坊守様(住職の奥様)に声をかけられました。
「まだまだ記念品は沢山あるから、2回でも3回でも回ってらっ
しゃい。!」

「はぁー。ありがとうございます…。」

Img_2448

そんなに要りません。
昨日の日報の投書蘭に寺巡りの感想の投稿を見つけました。
「寺巡りを満喫」と出ていますね。

Img_1194

前編で正福寺様まで6ケ寺巡りを書きました。その後桜見に行
った時の様子のこと、勝念寺様と隣の勝楽寺様のことを書いた
ので、今日は引き続いて木揚場教会(きあげばきょうかい)から
書こうと思います。

3月26日(火)
木揚場教会はオオクラホテルの近く、礎町通りにあります。明治
時代に東本願寺の本山御影堂、阿弥陀堂の造営の為に木材集
積地として建てられました。⇒そのレポはこちら。
全国32の港に木揚場があったといいます。本山の御影堂造営
が成った後、全国の木揚場は皆消滅してしまいました。現存する
のは新潟の教会だけになったのだそうです。この教会には檀家
さんがありません。三条教区のお寺さんが順番に講師になって
定例の聞法会を開いているそうです。

Img_1192
Img_1193

ちょっと見は西洋風でキリスト教会を思わせる建築物ですね。
平成12年に国の登録有形文化財に指定されました。

3月27日(水)

Img_1200Img_1196

今日は西堀通9番町からスタートします。長崎山真宗寺の寺門
から参道に入ってすぐ右に傳教寺(でんきょうじ)があります。
「傳教寺が寺中寺院のように真宗寺に隣接しているのは、寺町
が形成された頃、京都本山から真宗寺の塔頭(たっちゅう・通称
前寺)として「真宗隆盛に尽くすべし」という命を受けたからだ。
以後400年以上に渡って新規開拓の役割を担ってきた。ー」
(しんらんさん歩)
由緒正しいお寺さんなのですね。

Img_1195

参道の奥に長崎山真宗寺がありました。「鎌倉幕府も執権北条
高時の臣、長崎為基が本願寺覚如上人に帰依し、円海と称し正
平8年(1353年)加賀国能美郡長崎浜で一宇を創建し称名寺と
号した。文明2年(1470年)第5世道光が寺号を真宗寺に改め
た。第10世了心の時慶長元年(1596年)新潟町へ移住した。」
(「真宗寺の歴史」)
どのお寺さんも400年以上の歴史を抱えた古刹ばかりですね。

Img_1201
Img_1205

次はお隣の金波山鳥屋野院 蒲原浄光寺です。
寺門が金ぴかで目だっていますね。
〔蒲原浄光寺の歴史〕「寛文11年(1671年)度々の水害の為
、鳥屋野に堂宇を残し現在地へ移転する。蒲原は本願寺第9世
実如上人が本尊の背面に金波山鳥屋野院 蒲原浄光寺と添書
されたことに由来しています。」(しんらんさん歩)

Img_1206

東堀通り10番町まで下ってきました。下町(しもまち)界隈は風
情が残っていて、上町(かみまち)とは雰囲気の違う情緒を感じ
ます。大田山林松寺です。「開基は寛文5年(1665年)というか
ら「明暦の移転」によって新潟の寺町の原型が作られてすぐの
頃である。土蔵造りのみ堂は泉性寺境内で、鐘楼に寄り添うよ
うに建っている。長い間泉性寺の前寺として本坊を助ける関係
にあったからだー」(しんらんさん歩)

Img_1208Img_1209_2
Img_1211

境内奥の本坊・泉性寺にお参りしました。(上)お御堂の内陣。
欄間に掛っている天女の彫り物に魅入ってしまいました。素晴
らしいの一言です。
前庭も石燈籠もしっとり落ち着いて、いい味わいです。

Img_1214

〔新潟の町ゆかりの歴史〕
明和5年(1768年)この寺の早鐘を合図に、新潟町民が立ち上
がった新潟明和事件は有名ですね。⇒明和義人のレポはこちら

次は今日最後の目的地「願随寺」です。案内図を見ると、本明寺
から徒歩だと、結構離れて遠いですね。願随寺にはお盆にいつも
来るのですが、早朝に車で走るので、徒歩では今日が初めてな
のです。下町(しもまち)は小路が多くて迷ってしまいそうです。

Img_1217

道なりに歩いて行くと、古めかしいお堂が目に入りました。「入船
地蔵尊」(いりふねじぞうそん)と扁額がありました。ここが有名な
四ツ屋町の地蔵様ですね。今、変則四差路に立っています。
「あのー。「願随寺」様へはどう行けばいいですかー?」
通り掛りのおばさんに聞きました。
「この前の小路を真っ直ぐ行って、突き当たったら左。またその辺
で聞いた方が早いわよー。」

「はぁー。ありがとうございます。…」
どうも要領を得ませんね。

Img_1220
Img_1221_2

色んな町名がありますね。小路1本通る度に電柱の住所表示が
変わるのです。面白いですね。
「あのー。「願随寺」様はこの辺りですかー?」
「願随寺。願随寺ねー。あー。それ、そこの小路を戻るんだよ。」
家の前で盆栽いじりのお爺さんに教えてもらいました。
「一旦広い通りに出て、戻れば銀行の横の道に出るからー

Img_1222_2
Img_1223

漸く辿り着きました。(「願随寺の歴史」)
「ーもと三島郡北村(現長岡市喜多町)にあり、真宗大谷派でし
た。明和6年(1769年)真宗仏光派に転派。安政6年(1859
年)五港開港にあたり、外国視察団の迎接所となりました。」
(しんらんさん歩)
この願随寺様まで新潟地区の18ケ所を巡り終わりました。

Img_1235

スタンプノートも右の沼垂地区4ケ寺を残すだけになりました。

〔新潟の寺町 沼垂〕
「沼垂町は最初は王瀬にあったそうです。その後阿賀野川が信
濃川に合流し洪水で町が浸食された為、王瀬の北に移転します。
それから14年後阿賀野川の河口が土砂で埋まり湊が遠くなった
ので大島へ移転。その11年後今度は川幅が変化し町が侵食さ
れた為蒲原村の南に移転します。しかしここも水没し貞享元年
(1684年)長嶺新田の栗ノ木川沿いの土地へ5度目の移転を
します。これが現在の沼垂の場所です。」
(しんらんさん歩)

Img_1247

「沼垂の寺も、町の移転と一緒に移動しました。貞享の町割りで
は東端と北端に寺町を配し、これが今の元になっています。」
(しんらんさん歩)

3月28日(火)

Img_1250

今日から沼垂地区を廻ります。最初はホンポート(市立図書館)
に程近い「見谷山願浄寺」です。栗ノ木バイパス沿いに寺門が
あり、そこから長ーい参道を奥に進むとモダンな建物の願浄寺
と併設する蒲原幼稚園がありました。寺伝によると天正2年
(1574年)創立。古くは金鉢山の麓にあり、山ノ下に移り現在地
へ移転したのは江戸後期とのことです。(しんらんさん歩)

Img_1262

3月29日(水)
今日は栗ノ木バイパスを越えて沼垂の町中を巡ります。案内図
を頼りに沼垂の町中を初めて歩くのです。何か新発見があるよ
うでワクワクします。
最初に訪問するのは玄龍山浄徳寺です。昔「上町」と呼ばれた
雁木のついた商店街の奥にありました。貞享元年(1678年)に
沼垂町の移転と共に現在地に移りました。

Img_1266Img_1267_2

(上)西尊寺は(下)光照寺の「塔頭(たっちゅう)」(前寺)です。
1700年代中期、沼垂光照寺の道場として山ノ下に開基とあり
ます。
(下)光照寺 開基は上杉謙信公の家臣釈浄賢(天正9年寂)と
あります。戊辰の役の時、新政府軍の本陣になりました。現在
の本堂は昭和46年再建のモダンな建物です。
(しんらんさん歩)
本堂で坊守様に頂いた寺門入りのお煎餅は美味しかったです。

Img_1272

沼垂4ケ寺巡礼も済みました。スタンプ帳の20ケ寺が埋まり
ました。残すは手次寺のみです。

Img_1796

4月8日(月)
今日は花まつりの日です。花まつりはお釈迦様の誕生日ですね。
スタンプラリーの完結の日に合わせて手次寺の浄泉寺様に参拝
したのです。白象の山車が出て、誕生仏の甘茶懸けのイベント
があるのかと期待してきたのです。でも。誰もいませんね。
イベントの気配もありません。

Img_1795

ともあれ、最後のスタンプを押印してラリーは完結しました。
めでたし。目出度しです。ラリーを開始してから8日掛りました。

Img_2456

各寺の由緒と歴史を知るいい機会になりました。巡った寺の出
自を調べて見ました。新潟が6ケ寺、加賀が5、越前4、信州3、
会津1、常陸1、京都1計21ケ寺。宗派別では大谷派(お東)
17ケ寺、本願寺派(お西)3、仏光派1の計21ケ寺です。
開基は加賀国、越前国、信州の順に多く、宗派別では真宗大谷
派が17ケ寺で8割を占めています。

Img_2453

歴史を見ると、中世末期に上杉謙信が織田信長包囲網を築く為、
隣国の一向宗と和解政策を取ります。越後国へ門徒を招請した
のです。当時文化都市だった越前国、加賀国から新開地へ入植
する人たちが殺到しました。
越後国は信濃川が氾濫してできた潟や湖沼が多かったようです。
自然堤防上に集落が形成され、干拓開墾が進みました。人が
集まれば神社仏閣が必要とされます。寺院は教線拡大の為に
集落に布教の道場が建ち、次第に寺院へと成長していきました。

Img_2451

親鸞聖人にまつわる越後七不思議の伝説もこの頃に出来たと
云われています。⇒その時のレポはこちら。(波切名号堂逆さ
焼鮒八房梅つなぎ榧

Img_2460

上杉景勝が会津に転封になり、堀家が越後の統治者に代わる
と堀家に付き従う家来、民衆の大移動が始まり越後国への移入
に拍車が掛ります。重臣の溝口氏や村上氏が越後国に配され
村上藩や新発田藩ができました。各藩は年貢を優遇して新田
開発を奨励したので沼地湖沼の干拓開墾が一気に進みました。
信州信濃出身の笹川家が村上藩三条陣屋支配下の大庄屋に
任命されたのもこの頃のことです。⇒その時のレポはこちら

Img_2450

江戸初期、三河からの譜代の牧野家が長岡藩に迎えられると
新潟町の建設が始まります。越後長岡藩の町作り政策によっ
て一箇所にまとめられて寺町が形成された歴史があったので
すね。

この8日間のお寺巡りのおかげで、いままでバラバラだった記憶
が1本の線で繋がったような気がします。

(おわり)

 

|

« マンダロク山へ下見に行く | トップページ | GWあれこれ(畑、山、山菜採りの愉しみ) »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

スタンプラリー21寺巡礼達成おめでとうございます!親鸞聖人もさぞかし喜んでいると思います、きっとご利益がありますよ!

静岡の岳人さん おはようございます。コメントありがとうございます。ラリーは結構な人気なのですよ。1日で廻りあげたという人もいたそうです。もっとも会った人達はお婆ちゃんばかりですけどね。失礼!(笑)

投稿: 静岡の岳人 | 2013年5月 8日 (水) 07時42分

完歩おめでとうございます。21ケ寺は大したもんです。更に貴兄の裾野が広がってゆきますね。(拍手)傳教寺のご住職は当山は前寺ではないと力説しておられましたが、知識のない凡人には はーそうですかと言うより他ありません。

kazu1954さん おはようございます。いままで他所のお寺様には縁がなかったのですが、色々知る機会が持てて、いい企画だったと思います。みな400年以上の歴史を持つ古刹ばかりです。傳教寺様も由緒と永い歴史のあるお寺様なのですね。

投稿: kazu1954 | 2013年5月 8日 (水) 10時17分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ラリー達成して記念品をもらう(巡礼ラリー後編):

« マンダロク山へ下見に行く | トップページ | GWあれこれ(畑、山、山菜採りの愉しみ) »