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2013年5月 2日 (木)

日本一小さい山脈縦走(会山行・櫛形山脈)

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4月28日(日)くもり後晴れ
今日は会恒例・春の櫛形山脈縦走に参加
しました。歩程13.5kmの長帳場です。

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櫛形山脈は日本海に沿って走る山脈を、胎内川と加治川によっ
て両端が切り落とされた全長13キロメートルに及ぶ山塊です。
国土地理院2.5万地図に「山脈」と記されている唯一の例とい
われ、日本一のミニ山脈と呼ばれています。

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今日は胎内観音コースから鳥坂山(とっさかやま)438.5mに
登り、櫛形山脈を縦走して願文山(がんもんざん)248mまでの
13.5km歩程8.5時間の全踏破をするのです。3月末の西蒲
三山縦走(全長24km歩程11時間)、4月初旬の菅名山塊縦走
と並んで春の恒例行事です。今年1年の力試しには打って付け
の山行という訳です。

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胎内観音の脇から取付いて通称小太郎尾根の急坂を登ります。
小太郎とは城資盛(じょうすけもり)のことです。号は小太郎。諱
(いみな)は助盛(すけもり)。中世の頃、奥山庄で居城を構え、
一大勢力を誇った越後平氏の城一族がいました。白鳥(城取
)山周辺には堅固な山城がありました。

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急坂を登りあがると頑丈な石造りの避難所に着きました。「下赤
谷城跡・板額峰336.6m」の白杭が立てかけてあります。
「板額」とは『吾妻鏡』に登場する「板額御前」のことですね。
才色兼備で弓の名手とうたわれた、武勇の誉れ高い女御
なのです。

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汗を拭いていると差し入れが回って来ました。この時期に梨です
かー。珍味だなー。美味しいでーす。

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イワウチワが可憐な花を咲かせています。

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今日は晴れる予報なのですが、鈍より雲って眺望が利きません。

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今度はトマトのドライフルーツですかー。色々出てきますねー。

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(上)コデマリ (下)マンサク
稜線は木の花が一斉に開花して賑やかです。

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指差す方向には飯豊の山並が広がっている筈なのですが…。
今一眺望が利きません。今日は夕方まで一日アップダウンを
繰り返して稜線歩きが続きます。

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標高が低い割りにブナの美林が多いのです。丁度今ブナの芽
吹きに立ち会えました。新緑が爽やかです。

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坂井越(さかいごえ)の乗越(のっこし)に差し掛かりました。この
峠道を下ればR290の坂井集落に通じるのです。坂井城跡も残
っています。
「俺らが若い頃にゃ、よくこの峠を菅谷の町まで駈け下ったもん
サ。用が済んだら一目散に駆け上がって戻って来たもんだゼ。
チョチョイのチョイの間のことサ。」
ってなことを喋ってるのかな
ー?リーダーの解説を熱心に聞き入っている所です。御歳79歳
。お達者です。このリーダーがおっしゃることなら、訳もなく信じて
しまうくらい、当会きっての実力の持ち主なのですよ。オイラの憧
れです。

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(上)飯角口(いいずみ)の標識ですね。時間は丁度お昼時です。
「ここでランチにするー。」リーダーの指示が出ました。日差し
も出てきて絶好のランチタイムになりました。
(下)リーダーからプレゼンの山菜天ぷらが回ってきました。
今日の為にリーダー自ら採ってきたばかりの山菜を天ぷらに
揚げて用意してきてくれたのです。頭が下がります。
「美味しかったですよー。」

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飯角(いいずみ)の地名は訓読みです。音で読めば(はんがく)。
『吾妻鏡』に登場する「板額御前」の「ハンガク」は飯角の音読み
なのですね。板額御前は飯角の館(やかた)に生まれたので
「飯角の姫」と呼ばれました。

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飯角(板額)御前と小太郎資盛とは1歳違いの叔母と甥の関係で
すが姉弟のように育ったといいます。小太郎は馬上から射る弓の
名手です。板額は立射の名手。100発100中の腕前だったという
のです。

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飯角御前の兄に当たる城長茂(じょうながもち)は治承5年(118
1)越後守に任ぜられます。木曽義仲追討の命を受けて横田河
原の戦い(長野市)に出陣しますが、1万の兵を以っても3千の
木曽義仲勢に敗れてしまいます。頼朝覇権後は囚人の扱いを
受けて身柄を拘束され鎌倉に留め置かれて、腹臣の梶原景時
に身柄を預けられてしまいます。代々務めて来た奥山庄の別当
職も取り上げられてしまいました。

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そのころ越後国の奥山庄では叔父の城長茂の帰郷を待ちながら
小太郎資盛と飯角御前が城氏の再起を期して時を過ごしていた
のです。

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頼朝の死後、鎌倉幕府内部に起こった政争に巻き込まれて、城
長茂の庇護者だった梶原景時が幕府から追放されます。梶原景
時が滅ぼされた1年後、建仁元年(1201年)城長茂は軍勢を率
いて上洛し、倒幕の挙兵をしますが、たちまち幕府軍により鎮圧
されてしまいます。(建仁の乱)

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この挙兵に呼応して板額御前と小太郎資盛が越後国で挙兵しま
した。佐々木盛綱を大将とする幕府軍に対し要害の鳥坂城に籠
城して善戦しますが、矢折れ力尽きました。板額御前は足を射抜
かれ負傷して、生け捕りにされてしまいます。資盛は敵の目を盗
んで逃亡し、何処かへ行方をくらましました。

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板額御前は鎌倉へ連行されて、御家人達の好奇の目に晒され
ます。重臣たちが居並ぶ評定の場へ引き据えられると、『吾妻鏡』
にはこう描かれています。「ーその座の中央を通り、簾下に進み
居るその間、いささかもへつらふ気なし、およそ、勇力の丈夫に
くらぶといへども、敢へて対揚を恥づべからざるの粧なりー」と。
「どんな勇士(男)と比較しても引けをとらない立派な態度」だった
と賞賛しているのです。

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この態度に感銘を受けた甲斐源氏の浅利義遠(あさりよしとお)は
簾中の将軍頼家に願い出て、彼女を妻に貰い受けることを許諾さ
れました。板額御前は浅利義遠の妻として甲斐国に移り住み、没
したと伝えられています。(「越後の平氏 城一族滅亡」 木村尚志
著 鳥屋野出版 昭和63年)

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板額御前に思いを馳せているうちに、櫛形山頂に到着しました。
双耳峰の風倉山を正面に見て大境山、枯松山、杁差岳と奥に
残雪の飯豊連峰の眺めが広がっていました。おー!素晴らしい。

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ここまで来れば後は終盤に入ります。桜の大峰山を目指します。

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大峰山は山桜の名所なのです。全山が桜で覆われて見事です。

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(上)クロモジの新芽は春の息吹を感じます。(下)終点の桜公園
に到着しました。午後は快晴になって、いい締めくくりが
できました。

Photo
<クリック拡大>
歩いた軌跡 歩程 8時間30分 総距離13.5km
国土地理院背景地図等利用許諾番号2011-005号

今日は日本一のミニ山脈を歴史に思いを馳せながら歩いて
いい山行ができました。

(おわり)

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コメント

しゃくなげいろ様、お世話になりました。
お天気の回復がおそかったけど午後から快晴になり素晴らしい山行になりました。
櫛形山脈一帯にいろいろな城跡の名前があり山城の存在をそれとなく感じおりましたが、今回興味深く具体的に板額御前のお話(「越後の平氏 城一族滅亡」)を聞きこれからは 日本一小さい山脈の歴史に思いを馳せながら歩くことが出来そうです。 有難うございました。

FUKU様 こんばんわ。コメントありがとうございます。こちらこそお世話になりました。午後から晴れて、いい登山日和でしたね。小太郎尾根も登れたし、板額峰に立って城砦跡から下界を眺めるなんて思い出に残るいい経験ができました。櫛形山行はとっても印象良かったです。歴史ロマンに思いを馳せるってのも楽しいですね。

投稿: FUKU | 2013年5月 2日 (木) 16時58分

日本一のミニ山脈「櫛形山脈」有るんですね!初めて知りました、歩程 8時間30分 総距離13.5km かなりのアップダウンの連続ですね、地形図で見てもロングコースですね。お疲れ様でした!

投稿: 静岡の岳人 | 2013年5月 3日 (金) 18時30分

おはようございます。
この4日に娘が結婚式をあげたものですから、GW中はブログ訪問までには至りませんでした。やってますねー。櫛形山脈行ってみたいなー。

kazu1954さん おはようございます。お嬢さんの結婚式でしたか。それは、それはおめでとうございます。いいGWでしたね。でも手塩に懸けた娘を送り出すのは、父親としては切ないですね。櫛形山脈なかなか良かったです。
小ぶりですが、歩き応えがありました。kazuさんも是非どうぞ。

投稿: kazu1954 | 2013年5月 8日 (水) 10時05分

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