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2013年5月16日 (木)

権現堂山に登る(前編・下権現堂山)

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5月12日(日)くもり午後晴れ
今日は会山行です。魚沼市江口から権現堂山に
登りました。
午後は晴れて大パノラマが待っていました。

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登山口には渓流公園が整備されています。自然の景観を活かし
た美しい公園です。

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雪解け水の流れの中に水芭蕉が咲いていました。今年の尾瀬
は増え続ける鹿の食害で水芭蕉が見られなくなりそうだと聞き
ました。でも元々強い花だからまた復活してくれそうな気がしま
す。

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赤い鳥居をくぐります。「戸隠神社」の扁額が架かっています。

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杉林の石段を上ると山上に社殿がありました。豪雪地帯だけに
雪囲いがしてありますね。

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広神村指定有形文化財 九頭龍権現木造(平成3年4月1日指
定)「像は信州戸隠神社の奥社、九頭龍神社のご神体として造
立されたもので厨子に安政4丁巳年(1857)と記されている。」
(広神教育委員会)

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信州戸隠神社は日本神話では天照大神が「天の岩屋」にお隠れ
になった時「天の岩戸」を開いた天手力雄命(あめのたぢからお
のみこと)を奉斎した神社です。戸隠神社は奥社、中社、宝光社、
九頭龍社、火之御子社の5社で構成されています。

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縁起によれば創建は嘉祥2年(849)とされています。平安時代
後期以降は天台密教や真言密教とが習合した神仏混淆の戸隠
山勧修院顕光寺として全国的に知られることになり多くの参詣
者で賑わったそうです。

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戸隠山に向かって奥社参道左手が真言宗、右手が天台宗の領域
で、両派間には争いが絶えず、ある時真言宗徒が天台宗の僧侶
を襲撃し戸隠山を追放される結果になりました。

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山を追放された真言宗徒は信濃川水系に沿って越後の魚沼や
蒲原に進出の手を広げ、伝播を重ねながら広神村の江口にも
やって来たと云われています。(「燕戸隠神社の七不思議」
石黒克裕 著県央文化出版株式会社 平成8年3月 発行)

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魚沼市江口の戸隠神社は天正11年(1583)石祠を祭られ、
社殿建立は元治元年(1864)と云います。(由来書)

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「権現堂山」の山名は戸隠神社のご祭神「九頭龍大権現」に由来
するのですね。

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(上)ミツバツツジ(下)オオイワカガミ
ツツジの花とイワカガミのピンクが雨のしずくを溜めて瑞々しい
です。

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稜線はどんより雨雲が垂れ込めています。新緑が目に鮮やか
です。振り返ると江口の長松集落が見渡せました。

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登り始めて40分。傾斜が緩みブナ帯に入ります。残雪がまだ結
構ありますね。芽吹き間もない新緑と残雪のコントラストがいい
ですね。

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ねー。素敵でしょ。これはブナの2次林ですね。か細くて頼りなさ
そうな雰囲気が、また何となくいいじゃありませんかー?

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標高780m附近の大岩の下からコンコンと湧き出ていました。
冷たくて甘露の水ですよー。「弥三郎清水」とあります。
登山口に「弥三郎婆と鬼の穴(すみか)」と書いた大きな案内板
が建っていましたっけ。ここは鬼婆(オニババ)伝説の舞台にな
った場所だったのですね。

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「ー人肉を喰らった鬼ババは神通力を得て権現堂山の岩穴に住
み着き、吹雪に乗って天空を駆け巡り、幼子をさらってむさぼり喰
らった。麓の村々のむずかる子供は“ほら、弥三郎婆がくるぞ”と
脅かされ、吹雪に鳴る障子の音に怯えながら寝入った。ー」

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「以来約80年悪行を重ねた弥三郎婆サは典海大僧正に会い、
諭されて改心、「妙多羅天女」の称号を授けられるや一転、前
非を悔い、心清らかな子育ての神となって人々に尽くしている。」
と書かれています。

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これとよく似た話で「弥彦の婆杉伝説」を聞いたことがあります。
佐渡の金北山、蒲原の古津、加賀の白山、越中の立山、信州の
浅間山と諸国を自由に飛行して悪行のかぎりを尽くし「弥彦のオ
ニババ」と恐れられました。

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それから80年の歳月を経た保元元年(1156)、当時弥彦で高僧
との評判の高かった典海大僧正に諭され、ありがたい説経に目覚
めた老婆は世の悪人を戒め善人を守り、とりわけ幼児を守り育て
る大誓願を立てて働き出しました。婆々杉は樹齢1千年を超えると
いい、昭和27年に県の天然記念物に指定されました。
その時のレポはこちら

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大岩を縫って急坂を登り上げた所が8合目です。大岩の上に
立つと眼下に新緑の山並みが広がりました。吹き抜ける風が
爽やかに感じられます。でも眺望は今一利きませんね。

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今年は雪が多かったからこの時期でも残雪が豊富ですね。
800m以上はまだ雪の世界です。

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(上)東方向に上権現堂山(997.7m)が見えました。残雪が
たっぷり着いていますね。
(中・下)下権現堂山(896.6m)の三角点に着きました。
登り始めて2時間。結構イイペースで上がって来ましたね。
天気は今一ですが、後半は回復予報ですから大丈夫でしょう。

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(クリック拡大)
晴天になった続きは後編で書くことにします。

(前編・おわり)

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コメント

ブナの新緑と残雪、絵になりますね!プロカメラマンの腕前ですね。5月でもまだ残雪の春山ですね、水芭蕉も綺麗!

静岡の岳人さん おはようございます。ブナの芽吹きの頃ってホントにキレイですね。誰もがカメラマンになったり、詩人になれるのですね。題材が素晴らしいからですね。きっと。流れの中に咲く水バショウも絵になりますね。

投稿: 静岡の岳人 | 2013年5月16日 (木) 07時54分

残雪の権現堂山、素敵ですね~♪
詳しい解説付きで、ナルホド々と、特に
弥三郎婆サの鬼婆伝説は興味深く聞かせて頂きました。
それにしても、ブナの2次林の芽吹き間もない新緑と残雪は、
この時期ならではの素晴らしさですね。 

FUKU様 おはようございます。コメントありがとうございます。弥三郎婆サの鬼婆伝説はココと弥彦だけかと思ったら、佐渡にも会津にも雪国圏にいっぱいあるのですね。驚きました。ブナって癒してくれる不思議な木ですね。
春でも夏でも雨の日も晴れの日も、ブナ帯を通過するとホッとさせてくれる、ありがたい木だと思います。

投稿: FUKU | 2013年5月16日 (木) 11時08分

山うんちく。いつも楽しみにしています。
今回もとても参考になりました。

それにしても、山は女人禁制とか、山姥とかそんなんばかりですね。

男子禁制のお山とか、山ジイ伝説とかあったら教えてください。

弥彦の鬼ババアって言葉になぜかドキッとしました

わら様 おはようございます。訪問ありがとうございます。昨今は爺も婆も大活躍で弥彦の鬼ババもタジタジでしょうね。(笑)猫又みたいな人種もいる世相ですからね。昔の民話の世界に戻りたいような。
いつもブログ楽しみに拝見しています。一度挨拶に訪問したいのですが、道迷いばかりしてなかなか辿りつけないようです。(笑)

投稿: わら | 2013年5月16日 (木) 23時22分

しゃくなげいろさま
先日の会山行お疲れ様でした。
小生の駄レポに勝手ながらリンク貼らせて貰いましたので、ご了解のほど、願いあげます。

輝ジィ~ジ様 おはようございます。リンクして頂きありがとうございます。ブログ拝見しました。上下峰往復お疲れ様でした。山頂の雪解けの速さに驚きました。

投稿: 輝ジィ~ジ | 2013年5月30日 (木) 08時36分

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