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2013年7月12日 (金)

威守松山に登る(山名の由来を知る 前編)

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7月10日(水)晴れ
巻機山の前山の威守松山に登りました。
梅雨の中休みの静かな山旅ができました。

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新潟を出る頃はどんより曇っていたのに長岡を過ぎ、小出辺り
から青空も見え始めました。六日町に入ると、からりと晴天に
なりました。でも今の時期は晴れると暑いのです。車窓を全開に
して清水集落に向かいました。

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今日は威守松山に登ろうと山友のモモさんを誘ってやって来たの
です。威守松山は清水集落の東にあって巻機山の好展望台なの
ですが、登山口が巻機山と一緒ということもあって、皆がみんな
前を素通りしていくので不遇を囲っている山なのです。

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威守松山(イモリマツヤマ)って呼び名は何かの当て字みたいで
どうも好きになれません。昔、部の先輩から「エモンジョウヤマ」っ
て聞いた記憶が残っていたからです。でも今まで、どの文献を当
たってみても、誰に聞いても、「エモンジョウ」の名は出てこなかっ
たのです。

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ところがです。図書館で深田久弥の『日本百名山』27巻機山の
項を偶然開いて、その疑問が解けたのでした。以下本文を抜粋
してみますので、まあ1つ御覧ください。
「ーこうした名前の聞き誤りは、5万分の1の地図には珍しくない。
その例はすぐ近くにもある。清水の東に威守松山というのが記入
されている。威守松山なんて変テコな名前は、何かの宛て字に
違いないと考えて私は次のような結論を得た。」

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「清水は古くから上越をつなぐ間道の要衝であっただけに由緒の
ある村で、私が泊まった百姓家の囲炉裏ばたでいろいろ昔の話を
聞いた。村の草分けは阿部衛門尉(あべえもんのじょう)と名乗る
人だそうで、その系図は和泉家という旧家に所蔵されている
という。

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それで私の気付いたのは威守松山は衛門尉から来たのでは
ないか。村の近くの山に故人の名を冠することは、しばしば例の
あることである。」(深田久弥著『日本百名山』27巻機山

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深田先生も威守松山は衛門尉(エモンジョウ)が正しい呼び名だ
と言っておられるのです。オイラに教えてくれた先輩達が和泉屋
に宿泊した時に聞いたものか、はたまた深田先生の日本百名山
の本から仕入れた知識だったのか、今となっては知る由もないの
ですが、正しい山名のルーツが判っただけで、胸のツカエが1つ
取れた気分です。

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清水集落の入口にある案内板の直ぐ前に駐車したのです。先ず
は鳥居をくぐって巻機権現社に参拝しました。神社脇の道から尾
根に取り付く積りです。
「ー巻機山は機の神様である巻機さんを祀ってあると聞いたことが
あるが、さだかではない。養蚕に関係があるのかもしれない。」
(深田久弥著『日本百名山』27巻機山より)
今の時期は登る人がいないせいでしょうね。草茫々で先が見えな
いくらいです。仕方なく場所を替えて、巻機山の桜坂登山口に向
かう途中にあるイガシラ登山口へ移動することにしました。

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赤い線が歩いた所で黒い線が車で移動した所です。
民宿「和泉屋」の前から舗装林道を桜坂に車で向かいます。昔
巻機山を下山して帰りのバス待ちの間に和泉屋でラーメンを頼
んだら出てきた丼には、てんこ盛りの山菜が載っていて、下の麺
が見えないくらいだったことを覚えています。
感動して、オバサンに聞いたら、「これがアンニンゴでこれがゼン
マイで」と1つ1つ丁寧に教えてくれた思い出があります。あれから
40年。オバサンはどうしたかなー?

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(上)目指す先に威守松山の円頂ピークが望めました。
(中)キャンプ場入口を過ぎて一橋大学寮のちょっと先、道路の
左側に駐車場があります。もう先行の1台が駐車していました。
マニアもいるのですね。
(下)道を挟んで真向かいに登山入口がありました。

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丸木橋を渡ります。登山者はみんな巻機山に直行するので、この
山に登る人は、先ずいません。だから刈払いをしない道は草茫々
です。草ヤブに埋まった標識がありました。

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棚田跡のようです。今は草茫々ですが、昔は長閑な棚田の風景
広がっていたかもしれません。途中見晴らしからニョッキリと天狗
岩(あるいは黒ツルベ)が見えました。

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(クリック拡大)
ヤマアジサイ(山紫陽花)ブルー・イン・グリーンは色鮮やかです。

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(クリック拡大)
「これナニ?」と山友モモさん。清楚なヨメナ(嫁菜)が咲いてい
ました。

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(クリック拡大)
桑の実が半分熟していす。「ー巻機山は機の神様である巻機さん
を祀ってあるー」(深田久弥著『日本百名山』27巻機山)昔養蚕が
盛んだった頃の名残の桑の木なのかもしれません。

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草薮の道を通って山道に取り付きました。要所々にマーカーが付
いているのでルートを外すことはありません。急傾斜を辿るうち
杉林に入ると傾斜が緩んで「寺屋敷跡」の標柱が立っていました。
史跡があった所でしょうか?

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(クリック拡大)
サンカヨウの実です。
「寺屋敷跡」のことを六日町市役所に電話で聞いてみました。
「もしもしー。威守松山をイガシラ登山口から入った途中の杉林の
中に「寺屋敷跡」っていう木杭を見つけたのです。お寺の由来とか
教えてもらえませんかー?」
「はぁー。ちょっと知っている者がおりませんで。でも清水には謙信
の時代に砦があったのですよ。清水峠は関東に出る最短のコース
だったのです。謙信は清水峠を越えて何度も出兵しています。」

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なるほどー。「清水は古くから上越をつなぐ間道の要衝であった」
(深田久弥著『日本百名山』27巻機山)所ですものね。
謙信尾根っていう地名も残っている位ですから、清水集落が行軍
の宿場になっただろうと容易に想像できます。清水集落を開村した
阿部衛門尉という人も戦略上の使命を担っていたのかもしれま
せん。村の中心には寺は必要不可欠です。弔いと村人の精神的
支柱としての寺院の存在は大きかったはずですから。

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(クリック拡大)
暗い林内にノリウツギ(糊空木)の白花が鮮やかに映えます。 
ヤマアジサイ(山紫陽花)の隣に咲いていました。
「寺屋敷跡」を過ぎると、樹林の九十九折りの急坂を息を切らして
登りつめて行きました。

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急坂を登り上がると稜線との分岐にひょっこり出ました。主尾根
の稜線を大神宮様から尾根伝いに上がって来るとここで合流す
るようです。

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分岐から暫らくはブナとナラの疎林の緩やかな尾根を辿ると、急
な登りが始まりました。木ノ間越しに大源太山のピラミッドが見え
ました。下界は朝から熱い日差しが照りつけて、気温もぐんぐん
が上がっています。でもブナの林内はヒンヤリ涼しいのですよ。
時折通り抜けて吹く風が実に気持ち良いのです。正に別天地です。

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尾根の左手の子沢側から時折道路工事の重機の音が、右手の
柄沢川からは風に乗ってカッコウの声が聞こえてきます。尾根は
徐々に斜度を増して痩せて来ました。急斜面には固定ロープが
貼ってあるのですが、ブナとナラの疎林で下生えが少なくて掴ま
る枝がないので、滑らぬように気をつけながらゆっくり登りました。

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(上)カバイロツルタケが発生していました。(アマニタ)テングタケ
の仲間の中ではツルタケは生食すると中毒しますが火を通せば
食適と図鑑には出ています。でもねー。食指が伸びませんねー。
(下)ツルアリドオシの可愛い花5mmが咲いていました。

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急斜面は続きます。これくらいの山だったら一気に山頂まで登り
切れるハズなのだが。って思いながら頑張ると、まだ先というのを
繰り返して徐々に高度を上げていきました。

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ギンリョウソウ(銀竜草)別名ユウレイタケ(幽霊茸)
斜度が緩んで山頂が近くなったようです。斜面にギンリョウソウの
群生を見つけました。こんなに密生しているのは初めて見ました。
ユウレイタケの呼び名の方がぴったりきますね。

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樹林の空が開けてツバキの混じる潅木帯の中を上って行くと
ひょっこり山頂に出ました。先行の夫婦が休憩中です。
「イャー暑っちぇー!」
「あんま、暑っちぇーから。まぁ私らサッサと降りますワ!」
と先行夫婦が下って行きました。

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今日は山頂も暑いです。
この続きは後編で書くことにします。

(前編 おわり)

 

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コメント

おはようございます。面白そうな山行ですね!机の脇に日本百名山を置いてあるので巻機山の項を開いて納得しました(笑)
後編楽しみです。

kazu1954さん おはようございます。威守松山がエモンジョウヤマの呼び名でよかったことが判って嬉しいです。師匠からお墨付きを貰った気分です。(笑)春残雪期にアイゼン履いて登ったら巻機山の眺めが素晴らしいと思います。

投稿: kazu1954 | 2013年7月12日 (金) 10時25分

巻機山は2回も登って良く知っていましたが、威守松山は知らない山でした。名前の由来も解りました、いろいろ勉強になります!

静岡の岳人さん おはようございます。登山者はみんな巻機山を目指すので、逆に静かな山行が出来る山なのですよ。日本百名山を読んで深田先生も同じ考えだったことが判って、そっちの方が興味深かったですね。(笑)

投稿: 静岡の岳人 | 2013年7月12日 (金) 13時12分

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