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2013年8月 6日 (火)

縁は奇なもの(会山行・日本国 後編)

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7月31日(水)
下山は蔵王堂を経由して出発地点の小俣口へ
戻る周回コースを下りました。

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いつも下りは快調です。心肺の負担がないから楽なのですね。
きっと。どんどんペースも上がります。

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風の通らぬ長坂も一気に下って、もう蛇逃峠(じゃのげとうげ)に
着きました。途中「鷹待ち場」の案内板がありましたっけ。急いで
下りたら忘れるところでした。徳川10代将軍家治(いえはる)に
献上された鷹に象徴される鷹の羽は当時、戦仕度に欠かせない
弓矢の羽にはなくてはならない軍事資材だったと言うのです。
鷹の羽なら強くて遠くへ飛びそうです。

蛇逃峠の蛇(じゃ)にまつわる伝説はどうやらなさそうです。

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下り道もキノコがいっぱいです。アイタケ(ベニタケ科)ですね。
このキノコはクセがなくていいダシが出る食菌です。

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崖の斜面に出ていたのはハナガサイグチです。フラッシュを焚く
と色鮮やかに浮かび上がりました。

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アマタケ(キシメジ科)です。傘の表面は平滑。枯葉の分解をする
キノコです。食すと僅かに甘みを感じるので、この名がついた
ようです。でも見た感じからも食指が動きませんねー。

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キホウキタケ(ホウキタケ科)林内に群生していました。毒菌です。

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「蔵王堂(ざおうどう)  元和(げんな)元年(1615年)、大阪夏
の陣に従軍した郷土の若者佐藤源佐衛門家の次男が、帰路吉
野山に詣で蔵王堂よりご神体を護して帰り村に祀ったものです。
以来この地を金峰山(きんぷせん)と呼んでいます。
ご神体は室町後期の作で桧の寄せ木づくりで、2度の遷座の後
、元宮の現地に鎮座されました。昭和36年(1961年)9月の室
戸台風の折、お堂と共に麓に飛ばされご神体を破損しましたが、
昭和62年岩座(いわくら)を新調し湧出憤怒のお姿に復元しま
した。環境庁・新潟県」(由来書) 

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蔵王権現とはどんな神様なのでしょうか?

「そもそも蔵王権現は、修験道の開祖役行者(えんのぎょうじゃ)
によって大和(やまと)の金峰山(きんぷせん)に初めて祀られた
という山岳神である。金剛蔵王菩薩・金峰菩薩ともいい、3目2臂
の忿怒相の尊像である。これは日本古来の山神に対する考え方
と密教の思想などが習合してできた像容である。金峰山が日本の
代表的修験道霊山に発展したことから、修験者の篤い信仰を
受けた。ー」
(『越後・佐渡の山岳修験』鈴木昭英 著 法蔵館 刊)

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日本国(にほんごく)は金峰山(きんぷせん)とも言うのですね。
蔵王堂を過ぎると間もなく下山口の鳥居に着きました。

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参道を歩くと旧出羽街道に出ました。日本国山頂の案内板にあっ
たの崇峻天皇の第一皇子の蜂子皇子(はちこのみこ)が出羽国の
羽黒山で没したという記述から、この地が上古から出羽国と密接な
関係があったことがわかります。出羽三山の開山者は蜂子皇子だ
そうですから。

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旧出羽街道の小俣宿(おまたじゅく)です。建物の佇まいが歴史を
感じさせる通りを歩きました。

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各家の軒先には屋号の木の名札が架かっています。村中では
屋号で呼び合っているのでしょうね。昔はみんな、そうでした。
なんか懐かしくって、いい感じですね。

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「慶長3年(1598年)村上勝頼 加州小松より入封され当地は村
上領となる。庄内領国境の原海 岩石 小俣 雷(いかづち)に
番所が置かれた。 宝永6年(1709年)村上藩が減封され当地
は天領となる。 番所役人浅野加左エ門は廃所と共に村上に帰
藩した。 以後 海老江 大山 三本木 水原代官所の支配を受
け天明8年(1788年)米沢藩預かり地となり現朝日村塩野町代
官所の支配を受けること80年にして明治維新を迎える。」

と書いてあります。

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村上藩の減封の原因って嫡子のいない跡目相続が原因だった
みたいですね。海老江は現在の村上市、大山は新潟市、三本木
は五泉市、水原は阿賀野市です。水原代官所は復元されていま
すね。今度行ってみたいです。

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新潟県最北の山。日本国(にほんごく)は思い出に残るいい山で
した。鳥海山笙ケ岳に登れなかったことが日本国に登るキッカケ
になった訳ですから「縁とは奇なもの」です。

Photo
(クリック拡大)
歩いた軌跡 歩程3:30(上り 2:00 下り1:30)
国土地理院背景地図等利用許諾番号2011-005号

(後編 おわり)

 

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コメント

良いですね!日本国。私も行ってみたくなりました。此の入沢のご回答ありがとうございました。やはりあの道でよかったのですね!3軒ほど住宅っぽい建物が続き、左手上にもう一軒建物がありました。20分ほどでヤブがきつくなってきたので、引き返したのですが! 岩屋のプレートを直ぐに回り込むと何かの石碑が立っていてその奥に車1台通行できるほどの小道があったんですが、あれは違うんですね。いずれにしろ色んなルートがあるんですね。全部で15ルート程と聞いた覚えがあるんですが、奥が深い(笑)

kazu1954さん おはようございます。ニホンゴクいい山でした。今度お出かけ下さい。この前図書館で角田山の歴史の本を読みました。昔は杉植林の山で、近代林業の草分けとして全国から視察団が訪れたり、戦後安価な輸入木材に取って代わられるまでは盛況を誇ったよき時代があったみたいです。だから切り出して搬出用の林道と地図に記載されていないルートが多いのでしょうかねー?

投稿: kazu1954 | 2013年8月 6日 (火) 11時52分

新潟県最北の山、日本国とは変わった名前の山ですね!初めて聞きました。なかなか歴史のある山ですね!

静岡の岳人さん おはようございます。新潟県は縦に細長くて、行ったり来たりの距離が東京へ出る方がむしろ近かったりするので、山形県境の方はあんまり行きませんが、結構いい山がありますね。沼垂柵(ぬったりのさく)とか磐舟柵(いわふねのさく)とか坂上田村麿の蝦夷進攻にまつわる地名が残っています。日本国もその一つみたいです。

投稿: 静岡の岳人 | 2013年8月 6日 (火) 13時07分

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