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2013年11月28日 (木)

朴坂山塊縦走記(会山行)

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11月23日晴れ
時雨の毎日が続きますね。でも今日だけ晴れてくれました。
久しぶりに関川三山を歩いて来ました。

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今日のミッションは平林城址の要害山に上り、稜線伝いに東進し
て三の輪山、タカツボ山、朴坂山へと辿り、南西に転じて嶽薬師ま
で約9キロ㍍を縦走します。

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取り付きは要害山からです。標高281㍍の要害山は文禄年代の
絵図面によると加護山城(かごやま)と呼ばれていました。文禄年
代というと1592年天正の後ですから豊臣政権の時代ですね

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加護山城の由来は山の形状が葛篭(つづら)に似ているからだと
いう説もありますが、実際は領国「加納の庄」を護る山と云う意味
だそうです。

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「城主の色部(いろべ)公は関東秩父の畠山一族で嘉禄年間に鎌
倉幕府の地頭として入部し、16代約400年の長きにわたり加護
山城に君臨した。」

と案内板に出ています。嘉禄年間とは1225年。鎌倉時代は執権
北条泰時の政権下の話ですね。

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「加護山城跡の山麓には馬洗場址が幾場所もある。ここも通称「
長辺田」(ちょうべだ)とよばれる馬洗場であった。戦国時代、小泉
庄加納には粟島に生息したと伝えられている粟島馬が殊の外珍
重されていた。小柄のうえに足が早く気性の激しい戦闘的な馬で
あったからである。」(由来書)
源平合戦以来軍馬の確保は戦力維持の重要課題だったでしょう
から領国内の粟島が軍馬の産地であれば心強かったに違いあり
ませんね。

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「戦国時代には平林要害山から「のろし」を上げると、中条、加治
、水原と伝わり、わずか半刻で春日山府内に届いたといわれるか
ら、その偉力の程が伺われる。」


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「麓の平林城は、永禄年間に上杉謙信に仕え勲功のあった色部
勝長公によって築城され、長真公により補強されたものである。
従って平林城址は、要害山一円に及ぶ広大な山城であって、昭
和29年新潟県重要文化財に指定されている。」
(昭和29年2月10日 新潟県教育委員会)

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物見山から要害山へはひと登りで着きました。土塁が残り、枝ぶ
り良い立派な大松が生えていました。正に“荒城の月”の雰囲気
を感じます。

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山頂からは眺望が広がっていました。北には葡萄山塊と冠雪の朝
日連峰が、南には高坪山と櫛形山脈が。日本海も一望です。
要害山は一名「詰の城」ともいわれます。
①一つの城の中で最終拠点となる地域、または曲輪(くるわ)。
本丸一帯を指す場合と、本丸よりさらに重要な曲輪を設けてそれ
をさす場合とがある。
②複数の城で防衛地域を設定した場合、最終拠点となる城。
支城に対する本城。
(大辞林 第三版の解説)

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山頂の最高地点287に大岩が並んでいました。「舘岩(たていわ
)」の標杭出ています。この大岩群も城郭の一部として機能してい
たのでしょうか?

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旧岩船郡神林村は色部氏の在住時代は瀬波郡小泉庄と称され
ていました。小泉庄は平安時代末期に成立した荘園で本庄と加
納の2つから成っていました。本庄に地頭として入部したのが本
庄繁長の先祖進二郎行長でした。後年本庄氏は村上城址を要害
とします。

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加納は色部条・牛屋条・粟島の三ケ村からなり、色部氏は色部条
に本拠を構えたのです。

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(クリック 拡大)ナメコが発生していました。
でも手の届かない高所です。今回は諦めて通過します。

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館岩の大岩を左に見て鞍部の種松への急坂を下り、80㍍を直登
して三の輪山(箕輪山)に上ります。三の輪山には4等三角点が
あって小広い台地になっていました。

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「あっ。ステキ。動かないで。」思わずパチリ。シャッターを押しちゃ
いました。

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(拡大)
かえでの黄葉がきれいですね。この辺りは赤坂川の源流部の内
懐に入るので深山の雰囲気が漂います。三の輪山から急坂を
50メートル下って行きました。

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(拡大)
巨大な赤松が2本、天を突いて立っています。

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さなぶりの松って何のこと~?」
「さなぶりは田植えの終わりに田の神を送る祭りのことだよ。」
一緒にいた物知り博士が教えてくれました。
「サナブリ」とは田植えの終わりに田の神を送る祭りで、田植え始
めに行うサオリに対する。“サ”は田植えもしくは田の神を意味し、
サナブリはこの神が昇天するサノボリの転訛といわれる。」
(世界大百科事典 第2版の解説)

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この松は神の依代(よりしろ)だったのですね。そういえば、この縦
走路の終点は嶽の薬師です。地元の人たちは薬師山と呼ぶそう
です。ここは峰の薬師信仰の神聖な山域だったのです。

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薬師様は作神で春、山から里に降り、田にいて稲作の生育を守り
秋にまた山に帰られるというのです。
「農民の思考の中に山に祀られる薬師は山の神そのものである
とする観念が存在したといってよかろう。これこそ峰の薬師の功徳
効能の大きな特性であったといえる。」

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「峰上に祀られる薬師如来が里地との間を去来するという信仰観
念が強く見られる。越後においては、薬師の祭日は峰・里のいず
れに関係なく、春4月8日・秋10月8日の2回とするのが普遍的で
あった。」


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(クリック拡大) 大ケヤキです。
「新暦を採用するようになって、多くは5月8日・11月8日になっ
たが、この春祭りを「戸開けの薬師」、秋祭りを「戸たての薬師」
といい、この時実際に薬師堂の扉を開閉するのである。両方とも
信者は前の晩にお堂に参って夜籠りをしたが、それを「宵薬師」
などと称した。」
(「越後・佐渡の山岳修験 越後における峰の薬師信仰」
鈴木昭英著 法蔵館発行)

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(クリック拡大)
暫らくなだらかな道が続きます。左手(北側)には白く雪を被った
朝日連峰が見えました。

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80㍍急坂を登り詰めて光兎山(コウサギサン)が端正な三角形
の姿を見せる頃、タカツボ山に着きました。隣の蔵王山塊にも同
名の高坪山がありますね。

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小休止の後は先に進みましょう。そろそろお昼時。お腹も減って
来ました。朴坂集落からの登山道の分岐を過ぎたら、もうひと登
りで朴坂山頂です。

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(クリック拡大)
(上)立派な宮殿の建つ広場に着きました。
(中)「1等三角点本点」の朴坂山頂です。お疲れさーん。
(下)展望台から女川方面の景観が広がります。

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(クリック拡大)
先ずは1等三角点本点からの眺望を愉しみましょう。
(上)中束(ナカマルケ)方面と光兎山(コウサギサン)が立派です。
(中)旧神納方面を見下ろしています。紅葉がきれいですね。
(下)女川を隔てて望む飯豊連峰は冠雪しています。

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半日お疲れさんでした。ゆっくりランチを頂きましょう。
午後はいよいよ嶽薬師(薬師山)を目指します。

この続きは後編で書くことにします。 
(前編 おわり)

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コメント

今日は飲んで帰って、まさかブログは更新されていないと思っていたら(笑)。まめですね~でも、十分楽しませていただきました!

茨城の後輩さん おはようございます。お仕事ご苦労さんです。やはり現役は違いますね。オイラもう歳だから退社後は真っ直ぐ帰宅して、手酌でやりながらブログ書いています。(笑)

投稿: 茨城の後輩 | 2013年11月28日 (木) 21時57分

私もこの山行には参加したいと思っていましたが・・・
大人数と聞き、更に会議前日でその準備もあるし、結局断念しました。
この界隈を歩いたにはもう20年くらい前になるでしょうか?
里山のレポが、歴史の教科書を読んでいるようでした。
本当に熟知していらっしゃいますね!

noritan様 おはようございます。コメントありがとうございます。会議の準備大変でしたね。人伝てに聞きました。noritan様たちのおかげで安心して会山行ができるのだと感謝しています。里山の峰の薬師に興味があって今年は峰の薬師巡りをしたかったのです。新潟県はそこ等じゅう峰の薬師があるので興味が尽きません。(笑)

投稿: noritan | 2013年11月29日 (金) 04時11分

 今回は、身近な低山にもこうした魅力ある山がたくさんある事を再認識させられました。
 この縦走コース、分割して歩けばDランクも幾つかありそう。
 毎度毎度、歴史のウンチクには驚かせられたり学ばされたり、有難く拝読しております。(直入即出ですけど・・)

山いろいろ様 この度は大変お世話になりました。安・近・短のいい山ですね。オイラもそう思います。この山はキノコも出るし「峰の薬師」の山なのですね。機会があったら何度でも再訪したい山ですね。

投稿: 山いろいろ | 2013年11月29日 (金) 09時58分

23日は幸運にも晴れ間がありましたね。新潟市内より晴天ですね。紅葉が素晴らしい。
当日は我が家の長男の結婚式でした。何につけても、晴れるということはグッドです!

kazu1954さん こんばんは。ご長男の結婚式でしたか。おめでとうございます。晴れ日に恵まれて、いい結婚式でしたね。こちらまで幸せのおすそ分け気分にさせてもらいました。ありがとうございます。来年はランニングに山に思う存分浸れますね。(笑)

投稿: kazu1954 | 2013年11月29日 (金) 12時07分

しゃくなげ色さま
いつもお世話さまです。
へタレな小生、21日から24日早朝までは東京でした。
本年最後の会山行の下見と久しぶりに孫たちの様子を見たかったのです。
21日は行きがけに景信山から一丁平まで、そして
23日は娘の旦那氏と下の孫と一緒に高尾山から
一丁平まで歩いて来たのです。
会議に間に合わせるべく6時過ぎに三鷹を出たのです。

輝ジィ~ジ様 おはようございます。2日間に亘り下見お疲れ様でした。長帳場をこなされて休むヒマなく会議に駆けつけられたのですね。孫は可愛いですよね。オイラも正月に会えるのが愉しみです。景信山から一丁平まで歩くと富士山がきれいでしょうね。

投稿: 輝ジィ~ジ | 2013年12月 1日 (日) 19時35分

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