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2013年11月20日 (水)

行道を下る(弥彦山・宝川右岸尾根)

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11月16日(土)
午後、多宝山下の観光道路から対岸の崖松道が
シルエットになって見えました。

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陽が中天を過ぎると途端に影を引き始めます。秋の陽は弱弱しく
短いと感じます。今日は来年の冬山行の下見に来たのです。午
後は多宝山の西側遊歩道を観光道路に出て宝川右岸尾根を下
ります。

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「多宝山は銅山であった。(昔の名・十宝山)多宝山は銅が産出さ
れ、名前の通り宝の山だった。元禄時代より採掘され、本格的に
採掘され規模も大きくなったのは明治、大正にかけてである。

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初期の坑道は這って掘る一人掘りで規模の大きくなった頃の坑道
は、立ち作業の出来る大きさになった。数箇所の銅山跡を今でも
見ることができる。大きな銅山跡は山の西斜面海岸側で、東の里
側に面した山は、一人掘りの銅山跡は数あるが大きな坑道はいく
つもない。

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大きな坑道は石瀬の小滝周辺である。亜鉛鉱を目的としたが量が
少なく産出中止。同時期に麓の八枚沢に、古河鉱業の祖、古河市
兵衛が銅山開発計画の事業を開始したが失敗に終わる。間瀬銅
山の銅鉱石は良質で安定した産出だった。」
(多宝山の標高 周辺の自然と歴史文化 岩室十宝山山の会編)

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ハハーン。弥彦山と多宝山周辺は銅を掘っていたのですね。上り
に通った観光道路の銅山トンネルの名前の由来が分かりました。
八枚沢道や石瀬の大滝小屋周辺で見かけた坑口や廃道は、その
名残だったという訳ですね。

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観光道路が北進し多宝山から西に派生する尾根にぶつかって西
へ曲がり、佐渡見平の山の端を右に大きく屈曲する地点からガー
ドレールを越えて左のヤブに突入します。
カヤトのヤブは高くて密だから、“エイッ!ヤッ。”と突っ込むしか
ありません。

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(クリック)
振り返って見て多宝山頂のドームと白い銅山記念碑が一直線に
並ぶ線上に立つ見当です。

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(クリック)
そして辺りを注意深く探せばー。踏み跡発見です。でも落ち葉が
隠していますね。これからいくつもピークを越してアップダウンを
繰り返して下って行きます。

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(クリック)
落葉に隠れて不明瞭な踏み跡を外さぬように目を皿のようにして
忠実に頂稜を辿っていきます。春先は雪割草が咲き競ういい所
なのです。晩秋もいい味出していますがね。

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ちょっと休憩しましょうか。オッ。ラ・フランセですかー。
「ちょっとかたいのよ。」
どれどれ、それでは固いのを遠慮なく。オッ。イケマスよー。汗か
いた後の一口は美味しいですー。
一服したらまたヤブ道。頑張りますかー。次は三角点まででーす。

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4等三角点。三角点名:弥彦 標高:387.74m 所在地:岩室村
大字間瀬字行道
(弥彦山系三角点の記より)

三角点名が行道だから行道山っていうのですね。昔、足利の奥
の行道山という山に登ったことがありました。大きな岩がゴロゴロ
していました。行道(ぎょうどう)ってどういう意味でしょうか?

「行道とは①仏道を修行すること。
②列をつくって読経しながら本尊や仏堂の周りを右に回って供養
礼拝すること。」(大辞林 第三版)

なーるほど。行道山の由来が何となく分かった感じです。

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(クリック)
行道山の目印の大岩が近付いて来ました。

「連山は信仰の山ー弥彦・多宝・角田山の連山は、西に日本海
東に越後平野とそんなに広い地域とは思えない。その昔から
人類の営みが続いていた土地であったことは間違いない。
住んでいる人の数と比較して非常に神社仏閣が多い。」
(多宝山の標高周辺の自然と歴史文化 岩室十宝山山の会編)

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角田山頂にも確か、向陽道林による長者塚遺跡の説明の看板が
建てられていました。⇒その時のレポはこちら
国上、弥彦、角田山一帯は浄土信仰が盛んだったのです。昔、人
々は蒲原平野から東を望んで朝、山上に昇るご来光を拝み、夕
暮時には西に沈む夕日を仰いでは掌を合わせたものだと聞きま
した。

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朝日が昇る東の粟ケ岳には粟薬師が。白山には白山薬師が祀ら
れ、峰の薬師信仰が盛んでした。西の弥彦神社も維新前は神仏
習合でした。境内に神宮寺があり、本地仏の阿弥陀如来に参詣
する門徒で賑わったと本で読んだことがあります。

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三角点を過ぎたらヤブ道はウルサさを増した感じですね。急斜面
を木枝にぶら下がりながら転げるように下って来ました。踏み跡は
不明瞭さを増して、目を皿のようにしていないと見失いそうです。
ルートファインディングの訓練にはなりますが正直疲れますね。

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足も目もヨレヨレでいい加減うんざりし出した頃、藪道の隙間から
直ぐ目の下に舗装林道が見えました。
「もう直ぐ着くゾー!がんばれー。」

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フィックスロープにつかまって崖を下ればヤブ道から開放され
ます。お疲れさーん。「フーッ。」

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林道に降り立つと行道山が大きく聳えて見えました。辿って来た
頂稜の道はその昔、銅鉱石を搬出した道だったのでしょうか?
「ー明治年間まで、いろんな事業家が銅掘りを始めたが、成功せ
ず撤退して行った。大正に入り、新潟の白勢春三之が鉱山主に
なり、佐渡金山から優秀な技師を連れて来て最新の作業方法で
鉱脈を探し発見。白勢銅山と呼ばれていた。大変品質が良かっ
た。だが鉱山全体を掘り尽し、大正9年休山ー」

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「ー間瀬銅山の歴史では、享保元年に記帳された記録によると、
元禄14年に代官所の許可を得て深ケ沢で銅掘りが始まった。
だが相当昔から銅は掘られていたようである。大きな坑口の採掘
場から、小さく一人でやっと掘った程度の穴まである。それらはず
っと昔から銅掘りがあった証と思われる。ー」

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歴史の証言を読むと、現在残っている山中の至る所、縦横につけ
られた道は全て掘り出された銅鉱石を一刻も早く麓に担ぎ下ろす
為の重要な道だったかもしれません

「ー産出された銅鉱石は山麓の溶鉱炉で精錬され良質な銅として
出荷されていた。明治の頃、品質の良い銅が燕で銅製品となり、
技術が磨かれ特殊な製品を生み出した。弥彦山スカイラインに白
勢銅山の石碑が昭和に作られた。」
(多宝山の標高周辺の自然と歴史文化 岩室十宝山山の会編)

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多宝山の名は弥彦神のご神宝が埋葬された山に由来するとば
かり思っていたのですが、銅産出と燕市の銅細工工業とが一体
となって成長してきたのものだったことがよくわかりました。

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多宝山の山麓には縄文遺跡が沢山ありますね。昔から人々に恩
恵を与えてきた宝の山だったのですね。そこから流れ出る宝川。
今日は宝川の左岸尾根と右岸尾根を歩いてきれいな景色と一緒
にヤブ道歩きで歴史の一端が覗けたようで満足です。

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下山後、麓の温泉に浸かりながら、そんなことを思ってみたの
です。

歩いた軌跡 歩程5:30(休憩含む)

国土地理院背景地図等データ利用許諾番号2011-005号

(おわり)

Photo
(クリック拡大)

 

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コメント

お疲れ様でした。前編後編と楽しませていただきましたが、なかなか手ごわそうなルートですね?弥彦山のイメージではないような感じです。来年機会を作ってみたいと思います。

kazu1954さん おはようございます。表参道と比べるとマニアックですね。春先には雪割草と春蘭が咲くのです。見ごたえがありますよ。明神滝の沢コースがメインですが尾根コースもなかなかです。今度お出かけ下さい。

投稿: kazu1954 | 2013年11月20日 (水) 14時00分

弥彦山、多宝山は銅山だったんですね!初めて知りました。確かに踏み跡の薄いヤブ道のルートファインディングは難しいですね!

静岡の岳人さん おはようございます。以前八枚沢から登ったことがありましたね。海側コースもマニアックで中々いいです。ヤブルートは勉強になりますね。ちょっと心配になって真剣に道探しをする処がいいのでしょうね。(笑)

投稿: 静岡の岳人 | 2013年11月21日 (木) 07時56分

しゃくなげいろさま
山もさることながら、相変わらずのAcademicレポに感心。
銅採掘の件と地場産業とのつながりは知っていましたが
改めて再認識、勉強になりましたよ。

輝ジィ~ジ様 おはようございます。コメントありがとうございます。この歳になっても知らないことが多くて。(笑)右を齧っては驚き、左を舐めてはうっとりしているのです。山にはいつも教えられてばかりです。有難いことですね。

投稿: 輝ジィ~ジ | 2013年11月25日 (月) 09時29分

今日はデスクワーク。仕事の合間に読ませていただいています。ほっと一息。癒されますね~

茨城の後輩さん おはようございます。訪問ありがとうございます。お仕事ご苦労サンです。オイラも出社してデスクについた途端にもう帰りの時間が待ち遠しいのですから、困ったものです。(笑)だけど山のことになると俄然元気が出るのですよ。

投稿: 茨城の後輩 | 2013年11月26日 (火) 13時45分

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