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2014年7月30日 (水)

句碑を巡る(高野素十と亀田郷の俳人のこと)

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7月28日(月)晴れ 今日梅雨明け宣言が発表
されました。昨日降られなければ今頃は赤岳に
立っていたかもしれません。中止で手持ち無沙
汰なので句碑巡りに出掛けました。

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出だしは白山様からです。白山神社境内の手水舎の横隣にある
庭園に入って右奥の樹下にその句碑はありました。

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「十三夜明日といふ空美しき」(素十)
向かって左は中田みづほ、真ん中が高浜虚子、右がお目当ての
高野素十(すじゅう)です。

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「高野素十(たかのすじゅう)俳人。茨城県生まれ。本名与巳(よし
み)新潟県立長岡中学、一高を経て東大医学部卒業後、同大法医
学教室時代、水原秋桜子の手引きで俳句を始め、1923年高浜虚
子に師事した。ー

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ー虚子の唱導する(客観写生・花鳥諷詠)の精神に徹し昭和初期
《ホトトギス》雑詠欄で活躍、秋桜子、山口誓子、阿波野青畝(せ
いほ)とともに4Sと称せられた。ー

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ー没主観の客観写生は俳句性そのもの、俳句の原型とも呼ぶべ
き骨格を体現しており、虚子の厚い信任を受けたが、瑣末主義に
陥る一面も有し、叙情の回復を希求した秋桜子の《ホトトギス》離
脱の一因ともなった。」(世界大百科事典 第2版の解説より)Img_1022

素十の句集はよく手にするのです。何処か共感するところがあって
好きなのです。そもそも句碑巡りを思い立ったのは、ある日図書館
で「俳句の里ー亀田郷と俳人たちー」という冊子を見つけてからで
した。

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亀田図書館新築移転記念講演会記録集とあります。講師蒲原宏
氏(俳誌「雪」主宰・元県立がんセンター副院長)新潟市立亀田図
書館発行
正岡子規が創刊した『俳誌ホトトギス』を高浜虚子が受け継ぎま
す。虚子門下の高野素十が大正10年に新潟医科大学(新潟大
学医学部の前身)の法医学教授に赴任してから始まった亀田の
俳人たちとの交流のことが書かれてありました。

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明治40年に創設された新潟医専が大正10年に新潟医科大学に
昇格するに及び東京大学から教授連がスカウトされます。中田み
づほ(外科教授)、高野素十(法医学教授)、濱口今夜(外科助教
授)はホトトギスへ投句入選多数のつわものとして越後ホトトギス
の三羽烏(からす)と呼ばれて客観写生俳句の一大牙城を築いた
のです。

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高野素十は茨城県の農家出身者なので、亀田が気に入り、農村
地帯によく吟行に来ては亀田の人たちとの交流を暖めました。
俳誌『まはぎ』を創刊して亀田の俳人たちを多く育てたのでした。

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そんなことを思いながら、次に向かった所は亀田です。以前亀田
に住んでいたことがありました。その頃は町の中を用水掘が流れ
ていたように思いましたが、今、来て見たら掘は暗渠で蓋をされて
公園内を小川が流れていました。

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町の中心部にある浄土宗の古刹、円満寺の境内にお邪魔しまし
た。懐かしいです。ここにも句碑があるのです。

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4句中、右の句は高浜虚子。真ん中右は、みづほ。真ん中2行の
左が素十の句です。『早乙女の夕べの水にちらばりて』
左は濱口今夜の句です。虚子と越後ホトトギス三羽烏の揃い踏み
ですね。

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懐かしいのでちょっと周辺をぶらぶら歩くことにしました。船戸山集
会所前にも句碑がありました。あまりに立派な御影石なので、拡
大しても、薄くて読み取れませんね。辛うじて…何とか読めました。
『田打泥頬に二つぶ炉の主』(素十)

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新築なった亀田図書館に行ってみることにしました。茅野山(ちの
やま)のアスパークの敷地内にありました。立派な建物です。

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2Fの特別コレクションコーナーで佐藤念腹の句集を見つけました。
『ブラジルは世界の田舎むかご飯』(念腹)
見開きに自筆で書かれています。佐藤念腹氏は笹神村笹岡出身
の人で大正10年に全国誌『ホトトギス』に初入選を果たし、俳誌
『まはぎ』の創刊に参加しています。

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昭和2年にブラジル開拓移民として渡航します。移住に際し虚子
から送られた餞別句『畑打って俳諧国を拓くべし』
に答えて、ブラジルの日本人社会への俳句の普及に尽力され、
開拓地を回って多くの俳人の育成に貢献されました。

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特コレコーナーには亀田俳壇のレアもの句集がそっくり保管され
ています。今度ゆっくり読みに訪れたいと思っています。
さて、笹神の佐藤念腹氏の話が出たので、これから五頭山のや
まびこ通りに向かうことにしました。やまびこ通りは五頭山の出湯
口から村杉口に抜ける8.5キロの舗装林道です。路肩に並ぶ句
碑のメッカとして知られる所です。

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月曜日の午後の昼下りは、余ほどの物好きでもない限りこんな
山奥には来ませんよね。車を走らせても誰にもスライドしませんで
した。暗く物寂しい山道に建つ句碑は墓石のようにも見えました。

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峠を少し村杉側へ下った辺りに件の三羽烏の句碑を発見しま
した。『念腹のー』文字が見えますね。みづほと念腹の付き合いは
古いのです。

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『耕牛の一歩一歩の見守られ』(素十)

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『網主のー』濱口今夜氏は和歌山県串本町の漁師の網元の出身
なので郷里を思う句が多いようです。

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下山してから水原の瓢湖畔に立ち寄りました。湖畔にも句碑があ
ると聞いたので探してみたのですが、あまりに広くて止めました。

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地図を片手に句碑を探しながら巡るというのも結構疲れますね。
根を詰めていたらお昼の時間は遠に過ぎてしまいました。お腹も
空いてきました。亀田に来たら、必ずここへ寄るのです。味噌バタ
ーがいい味出しているのですよ。

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暑い夏に、噴出す汗を拭き拭きすするラーメンは旨いと思いま
せんか。

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お腹も足りたので、もう2箇所寄って行こうと思います。ここは弁天
橋の袂のお御堂に来ました。ここの何処かに句碑がある筈なので
すが…。見えませんね。

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周囲をうろうろ歩き回って探したのですが、判りませんでした。

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今日の終点です。ここはオークラホテルの前の公園です。
『千二百七十歩なり露の橋』(虚子)大正13年9月 虚子先生を新
潟に迎へたる時の先生の句を新萬代橋竣工の昭和4年に御揮毫
くだされしもの。とあります。

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大正13年(1924)は今(2014)ですから90年前の出来事です。
前年には関東大震災が起こっています。大正13年に高浜虚子
を招聘して越後ホトトギスの初句会が開催されました。新潟医科
大の教授連と亀田郷の俳人たちとの交流がここに始まります。

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新萬代橋が竣工する昭和4年(1929)初句会から5年後に越後
ホトトギスの俳人たちによる俳誌『まはぎ(真萩)』が創刊されます。
これより2年前、佐藤念腹氏がブラジル移民に出国しました。念腹
氏はブラジルから『まはぎ』へ投句を続けています。

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今日は一日句碑めぐりをして、大正・昭和・戦後と激動の時代を画
す俳句文化が亀田郷の俳人と新大医学部の教授連たちによって
花開いた歴史があったことを知りました。

いい勉強ができました。俳句が益々面白くなりそうです。

(おわり)

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コメント

山行中止を見事、句碑めぐり、一人吟行で過ごされるなんて、さすがです!
白山神社は「俳句の会」に寄せて頂いて初の吟行で「梅見吟行」と言うことで一昨年の4月に行き、高野素十の他、この句碑を見ました。
句碑はなんて書いてあるのか判読し難かったので、ネットで調べました。
亀田図書館は素晴らしくなりましたね。
こうしたチョッと市街地から外れた図書館で、一日涼しい処で読書三昧したいですね。

noritan様 おはようございます。コメント感謝です。句碑は皆一様に読めませんね。解説本片手でないと判読不能ばかりです。マニアックな世界ですからね。(笑)亀田図書館はきれいで、特コレコーナーに句集『まはぎ』や素十句集がそっくり保管されているのにはビックリしました。資料館も併設されていてなかなか面白そうです。今度手弁当を持って出かけたいと思います。

投稿: noritan | 2014年7月31日 (木) 04時22分

おはようございます。そろそろ赤岳の報告かなって思っていましたら、天候不良でしたか!!その空白を句碑巡り!それも新潟市の中心部~亀田郷~五頭のやまびこ通り~瓢湖~亀田駅前~鳥屋野潟~萬代橋
いやーその行動力というか引き出しの多様さというか!?住む世界が違いますね。

kazu1954さん おはようございます。以前住んでいた頃を懐かしんで亀田の町歩きをしました。表通りはあまり変わりませんが船戸山を流れる用水堀が暗渠化して公園になっていました。亀田に昔俳句文化が花開いた歴史があったなんてステキですね。いい勉強になりました。

投稿: kazu1954 | 2014年7月31日 (木) 09時30分

会山行の赤岳中止ですか、折角下見に行ったのに残念ですね!また来年の楽しみにして下さい。私も7月北ア大日岳と8月針ノ木岳の夏山は中止です、やっと平地を普通に歩行出来るようになりましたが山は当分無理ですね!!

静岡の岳人さん おはようございます。リハビリの仕上がりが順調のようで安心しました。気は逸るでしょうが山は逃げませんから、ゆっくり養生して来年に備えたほうがいいですね。オイラは仲間と明日から双六に下見に行ってきます。

投稿: 静岡の岳人 | 2014年7月31日 (木) 09時52分

今度、五頭へ行ったら気をつけてみます。知りませんでした 「五頭のやまびこ通り」 の句碑。しかし、しゃくなげいろさんは、趣味の巾が広く深いですねぇ~ 敬服致します。 (*^_^*)
でもやっぱりラーメンは止められないようですね。(笑) 

FUKU様 おはようございます。コメントありがとうございます。平日の午後、誰もいない薄暗い山中に並ぶ句碑群はなかなか異様なのですよ。「サル出没注意」の看板だけが目に付いて一人で行くには勇気が要る所です。(笑)亀田の町はいつも通過点なので、ゆっくり歩くのは久しぶりでした。あのラーメン店のみそバターはいい味出してると思うのですよ。オススメです。

投稿: FUKU | 2014年7月31日 (木) 16時25分

いやあ、いろいろとがんばっていますねえ。亀田駅前の「熊ぼっこ」ですか。あそこの味噌ラーメンは美味しいらしいのですが、駐車場がよくわからずまだ行っていません。味噌にバターも美味しいですね。でもね。札幌の味噌ラーメン系の店だと、アサリバターラーメンも美味しいですよ。

越後の寅次郎様 おはようございます。お立ち寄りありがとうございます。亀田の西山ラーメンはよく行きます。夏、汗流して頂くのは醍醐味ですよね。(笑)今度アサリバターラーメンも試してみたいと思います。

投稿: 越後の寅次郎 | 2014年7月31日 (木) 17時24分

しゃくなげいろさま
恰も学術専門誌と見紛うばかりの見識高いレポで、
小生如き凡人がcommentする事さえ、憚れるような気がします。
新潟に貴殿のような森羅万象 博識博学の賢人の存在そのものが財です。
出来る事なれば、頭の構造覗いてみたい・・と。
小生 高野素十の名前と俳人、そして新潟大学学長程度の
浅薄な知識で恥ずかしき限りです。
白山公園内の句碑は知っていましたが・・

輝ジィ~ジ様 おはようございます。コメント感謝です。60の手習いで俳句を始めたのです。芋づる式に俳句本を読み漁っていたら偶々高野素十と亀田の俳人たちの交流の模様を知りました。かつてはハイレベルな俳人を多く輩出した文化土壌があったのですね。この歳になって知ることばかりです。山も俳句も中途半端です。(笑)

投稿: 輝ジィ~ジ | 2014年8月 1日 (金) 07時50分

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