« 八海山尊神社に参詣する | トップページ | 三角点を探す »

2014年11月13日 (木)

威守松山に登る(会山行)

016<拡大>
11月1日(土)雨
今日はオイラがリーダーで威守松山(南魚沼市)
に登りました。ご覧のような急坂が続きます。

003

“エモンジョウ山”のことを最初に耳にしたのは随分前のことでし
た。まだ百名山がブームにもならない頃、巻機山の登山道に木
道が敷かれる前の頃の話です。

004

仲間とヌクビ沢から割引岳に登り、古いボロ小屋の前に天幕を張
って一夜を過ごし、井戸尾根を下るのが常でした。和泉屋の前が
バスの終点でバスを待つ間にいつもラーメンを頼むのでした。

005

いつも麺が隠れるくらい山菜山盛りの丼が出て来るのです。これ
は何って聞くと、お婆さんが「これはアンニンゴ、これはアマンダレ
」って優しく教えてくれるのです。

006

嗚呼、アノ頃が懐かしいなー。山から離れて久しくなって山のこと
もいい加減忘れ掛けていた頃、世は登山ブームで百名山がもて
はやされる時代になりました。

007

図書館で何気なく手に取って読み始めた「日本百名山」が面白く
て、読み進むうちに巻機山のページの中に「えもんじょう山」の文
章を見つけたのです。

008

『「アノ山は何という名前かね?」「あれ?あれはワレメキ山でさァ。
」「なに、ワリミキ?ふん、ワリビキか。」すぐ地図上に割引と記入
される。しかも誤ってその背後の山がその名を負ったのだろう。

009

こうした名前の聞き誤りは、五万分の一の地図には珍しくない。
その例はすぐ近くにもある。清水の東に威守松山というのが記入
されている。威守松山なんて変テコな名前は、何かの宛字に違い
ないと考えて、私は次のような結論を得た。

011
(クリック拡大)
清水は古くから上越をつなぐ間道の要衝であっただけに由緒のあ
る村で、私が泊まった百姓家も囲炉裏端でいろいろ昔の話を聞い
た。

012

村の草分けは阿部衛門尉と名乗る人だそうで、その系図は和泉
屋という旧家に所蔵されているという。それで私の気付いたのは
威守松山は衛門尉から来たのではないか。村の近くの山に故人
の名を冠することは、しばしば例のあることである。』
(日本百名山27巻機山 深田久弥著)

013

それ以来、威守松山(衛門尉山)にいつか登りたいと思うようにな
っていたのです。ある時、山友モモさんに話したら、「じゃぁ。出掛
けてみるかい。」ってことになり…。

015

夏の暑い盛りに出かけたのです。その時のレポは⇒こちら
こちら
山を下りてから気になっていた寺屋敷跡と威守松山(衛門尉山)
のことを市役所に聞いてみたのです。

018

「さーぁ。文献がなくてわかりません。ただ上杉謙信の時代の山城
があったと聞いていますがね。」

019

「清水より南の方五町余にあり、九折して登ること三町。七曲と云
。本丸の跡あり、東西二町四十間、東北一町五十五間。元弘の頃
新田氏の一族里見烏山の族住し、永禄の頃上杉謙信の家族、長
尾伊賀守某ここに居住せしと云。」
(新編会津風土記 越後の山旅 下巻 藤島玄著)

020

清水から500m程南進して、更に300m登った七曲という所に
東西290m東北208mの城砦があったというのです。元弘の頃
といいますから鎌倉時代に新田氏が一帯を支配していたのです
ね。

021

時代が下って永禄の頃は謙信の家族、長尾伊賀守某という人が
住んでいたというのです。山上の城砦を維持するには兵員と兵糧
を供給する基地が麓になければなりません。その役目を清水集落
が担っていたものでしょうか。

022

集落が形成されれば精神的な拠り所となる神社仏閣が必要とさ
れます。戦国時代であれば尚更のことでしょう。井頭登山口から
登った途中にあった「寺屋敷跡」の存在が俄かにクローズアップ
されてきましたね。

023

上杉謙信の時代、清水峠越えは上杉軍が関東へ進軍する最短コ
ースだったといいますから、清水集落は間道の要衝として重要視
されていたとすれば、この威守松山の何処かに見張り場が築かれ
て、間道を通る人たちを監視していたかも知れません。

026

「清水入は家数二十八軒、旧家小野塚伝三郎、阿部弥十郎両家
の末葉なり。(中略)村際の清水は二間四方の井壺より噴出し滝
の如く流下し矢の走る如し、村名の名称之に起こると。」
(新編会津風土記)

027

山頂は風雨が強くて手ブレしてしまいました。飲用沢はノミオ沢
といいます。イガシラ山(井頭山)に沿って流れ下り登山口のある
丸木橋の下を流れます。昔は水道に利用された名残の呼び名で
しょうか。

028

この茂みを越えて下ると威守松山の名の由来となる北五葉松の
大木があるのですが、ご対面は次の機会にします。

029
(クリック拡大)
一瞬だけ雲が切れて大源太山(別名上越のマッターホルン)の尖
りが見えました。

032033

登った後は下らなければなりません。さぁ。激下りの開始です。
下降用のロープにつかまって、ヤブの木枝も利用して転げ落ち
ないように。慎重に下ります。

034
(クリック拡大)
クリタケ発見。倒木に発生したのが落葉の端にチラリと覗いたので
す。落葉を払いのけたら…。

035
036037

あるわ。あるわ。出るわ。出るわ。でこうなりました。

038039
(クリック拡大)
まだまだあるぞー。

040

上にもあるぞ。ストックの先は何かな?暗くてよくわかりません。

048047

ほれ。ムキタケだー。

049

デッカイー! でもツキヨタケじゃなーい?

050
(クリック拡大)
大丈夫。ホレ、こうして割ってみれば正真正銘のムキタケじゃい。

042

激下りにキノコ採り。ご苦労さーん。お一つどうぞー。

043

じゃぁ。遠慮なく。渇いたのどにはこれが一番、美味しいですー。

058054
(クリック拡大)
今朝から雨の中、激上り、激下り、きのこ採りと目まぐるしい一日
でしたが皆さんの頑張りで無事下山できました。

Photo
(クリック拡大)

歩いた軌跡(GPS)
国土地理院背景地図等データ利用許諾番号2011-005号

歩程 4時間(上り1:40 下り2:20 休憩含む)

秋の威守松山は紅葉とキノコで迎えてくれました。次回は雪解け
の頃、アイゼン履いてピッケル持って訪ねてみようかな。今度はど
んな顔を見せてくれるか愉しみです。

(おわり)

|

« 八海山尊神社に参詣する | トップページ | 三角点を探す »

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

巻機山は何度も行っているのに、この山は名前は知ってはいても足が向きませんでした。
山には歴史があり、その辺の事情に詳しいしゃくなげいろ様は山への思い入れも一入でしょうね。
来年、雪が消えたら今度は行ってみたいです。
清水集落にでも泊まって、巻機山と兼ねるのも良いですね。
雨の中、急登、急坂でも最後にすばらしい自然の恵みの収穫で大満足ですね。

noritan様 おはようございます。お立ち寄りありがとうございます。これから巻機山へ登ろうというのに途中の低山には普通寄りませんよね。衛門尉山は麓に神社仏閣があるので村の山として大切に守られてきたようですね。雪解けの頃、麓の民宿に泊ってセットで登ろうなんて流石noritan様らしくて素敵なアイデアですね。民宿は山菜料理がこれでもかってぐらいに出ますよ。きっと。(笑)

投稿: noritan | 2014年11月14日 (金) 03時34分

しゃくなげいろさま
その節はお世話様でした。
威守松山、初めてでしたがもう一度は
行きたいと思わせる山でした。
帰宅してからムキタケのソテーで晩酌と洒落ましたが、旨かったですよ。

あの山深い場所に数百年の歴史。
興味は尽きませんね。

輝ジィ~ジ様 こんばんは。こちらこそお世話になりました。ベテランが後ろに居てくれるだけでパーティーが締るのです。その辺の妙がリーダーとしてはありがたいのですよ。またお願いします。威守松山は隠れた名山かもしれませんね。ムキタケのソテーで晩酌とは聞いただけで、その肉厚の旨そーな絵が浮かんできそうです。(笑)清水山塊には謙信尾根とか馬峠とかゆかりの名前が今に伝わっているのは興味深いですね。

投稿: 輝ジィ~ジ | 2014年11月14日 (金) 11時43分

「威守松山」難しい名前の山ですね、名前の由来が解りました。しかし凄い急登ですね、お疲れさまでした。リーダー山行は皆さんの事をいろいろ考えながら登るからなかなか大変ですよね、私も16日に山梨県の今倉山~菜畑山に会のリーダー山行に行きました。

静岡の岳人さん おはようございます。静岡の岳人さんは会のリーダー山行に参加とは、もう完全復調ですね。良き哉、良き哉。オイラも昨日が今年最後のリーダー山行でした。雨予報が良い方に外れてくれて、小春日和になりました。冠雪の越後三山がきれいでした。山は皆んな元気とお天気に限りますね。(笑)

投稿: 静岡の岳人 | 2014年11月17日 (月) 08時28分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 威守松山に登る(会山行):

« 八海山尊神社に参詣する | トップページ | 三角点を探す »