念腹師旧居を訪ねる(阿賀野市)
雷や四方(よも)の樹海の子雷
ブラジル奥地の大原始林に突如、大音響が鳴り響きました。こだ
まが反響してオドロオドロと四方八方に子雷が分散して鳴り続け
たという念腹師の秀句ですね。オイラの好きな一句です。
佐藤念腹氏は阿賀野市(旧笹神村)出身の俳人です。念腹は俳
号です。ユニークなネーミングがステキです。念腹氏は昭和2年
、30歳の時に一家をあげて南米ブラジルのサンパウロ州に移民
されました。
異郷の大自然を相手にコーヒー園の開墾に尽力し、同時にブラ
ジル俳句界の創立に取り組まれたのです。そして今では6000
人の会員を擁する「俳諧国」を作り上げられました。
畑打って俳諧国を拓くべし
この句は高浜虚子が念腹氏の渡航に際して贈った餞別句といわ
れています。大正2年(1913)念腹氏16歳。家業の乾物商に従
事しながら俳句に凝り、やがて高浜虚子主宰の俳誌「ホトトギス
」に投句を始めます。
大正10年(1921)24歳の時に俳誌「ホトトギス」に初入選を果た
します。翌年の大正11年頃から俳人中田みづほ氏(新潟医専教
授)に師事します。
場面は変わってここは新潟市内(旭町通り)。守衛さんが立ってい
るのは新大医学部の側門前です。門をくぐると左手にみづほ師の
句碑が建っています。
“学問の静かに雪の降るは好き”
碑陰は刻字が暗くてよく読めませんが…
中田みづほ 略歴ー
本名中田瑞穂。明治26年4月24日島根県津和野町に生まる。
旧制第六高等学校、東京帝国大学医学部卒業(大正6年)。は
じめ長谷川零余子、ついで高浜虚子につき俳句修行、ホトトギス
同人。昭和4年より俳誌「まはぎ」主宰。文化功労者、新潟大学名
誉教授・脳神経科学者。…
「中田みづほを語るにはどうしても高野素十に登場してもらわなく
てはならない。二人は東京帝国大学医科大学の同窓同期として
、また東大俳句会の同好の士として識り合ったものであろうが、
英雄は英雄を知る、というか、お互い惚れ合い、且つお互いに一
目おいた、いわゆる相許し相畏れた間柄であった。ー」
「大正11年、新潟医科大学に赴任したみづほは、いつまでも研
究室に残っていた素十を強引に新潟医科大学に引っ張った。度
々諸大学への推挙を断り続けてい来た素十も、みづほの要請を
断り切れず不承々々ながら新潟医科大学に着任した。」
(みづほ全句集 解説 編集者 長谷川耕畝(こうほ)より)
一方、天下のホトトギスに入選を果たして意気軒昂な念腹氏は新
潟にもホトトギスの同人(みづほ師)が居ることを人伝えに聞いて
遥々笹岡村から汽車を乗り継いでみづほ師宅に訪ねて来ます。
大学教授として多忙を極めるみづほ先生でしたが、念腹青年の一
途さに好感を持って接してくれました。意気に感じた念腹青年は時
には商売品の塩鮭を手土産に毎週のように押しかけては終日み
づほ師宅に居座って熱く俳句を語るのでした。
寛容で俳句の理解者だったみづほ先生の周りにはやがて有能な
人材が集まり出し、地元の俳句文化が育っていったのです。
ある日、念腹青年は新潟→新津→水原→笹岡の道順で帰宅する
途中の亀田町に佐藤暁華氏(俳人)を訪ねます。同人句会の結成
を呼び掛けるためです。やがて、亀田と地元笹岡に同人句会が誕
生します。
「ー昭和4年、近郷のホトトギス俳人の要請によって、俳誌「まは
ぎ」が亀田から発刊され、みづほ、今夜が指導に当たっていたが
、そこへ素十が加わりやがて「ホトトギス」の一大写生道場となっ
たのである。ー」(みづほ全句集 解説 編集者 長谷川耕畝)
同人誌「雪」の7月号に雪選者の蒲原ひろし先生の筆になる15ペ
ージの特集記事“佐藤念腹評伝”が掲載されました。今から77年
前、昭和13年1月9日に「まはぎ百號記念俳句大会」が新潟市イ
タリア軒で開催されます。百号の祝賀会の席上素十(高野素十)
はー
「本日のこの記念大会の盛大さを見せたい人が3人ある。一人は
勿論虚子先生であり、又一人は亡くなられた中田萋子(しげこ)夫
人であり、更に今一人は「まはぎ」の創立者の一人であり偉大な、
且つ熱心な作家である南米の念腹氏である。」と熱弁をふるって
満場を粛然とさせた。ー
「素十は遠隔地にいる念腹について、事あるごとに「まはぎ」の会
員にその印象と記憶が薄れないようにと心を配っていた。前年の
昭和12年11月には俳句仲間と念腹の故郷笹岡村に佐藤の旧居
を訪れ、紀行文をまとめ「笹岡」と題し、「まはぎ」の百号(昭和13
年1月)に寄稿しているー
「笹岡 素十
念腹君。11月14日に君のもとの家を訪ねたよ。(中略)笹岡とい
ふ村はなかなかいい村だ。(中略)君の家はもとゝ少しも變って居
らぬさうだ。今魚屋になってゐる。店先といふのか横に甚だ長い
土間があってそこ生々した鮭が並べてあった。(中略)それから向
こふ側に火の見櫓があるね。ー
「又君の家と隣の家との間には一尺位の溝があって水が火の見櫓
の方へ流れてゐる。それも君の居った頃と少しも變りあるまい。が
水は済んでをったが、茶碗のかけや土瓶のかけなどが投げ込ん
であって餘り綺麗ではなかった。(中略)ー
「ーそれから恐らく居間といふのだらう。君がよくこゝに座って俳句
を考えてをったといふ帳場の後ろの部屋。あの部屋の圍爐裡を圍
んで酒盛が始まった。(中略)感慨無量であった。僕が越後に住み
君がブラジルに住み、かうして君の居らぬ爐邊に僕が座って酒を
のむなんてね。ー
「然し君のブラジル行きは確かにいゝ事であった。あゝいふ村に住
んで居たって君には仕事がないよ。
一昔たちし爐邊に小酒盛
といふところか。勿論この爐邊で一同君の健康を祝して盃を五頭
山よりも高く上げた。(中略)」
この一文は「まはぎ」百号が念腹宛に送られることを意識してか書
信の形式をとっている。それだけにあふれるような友情を汲み取る
ことができる。(佐藤念腹評伝(31)蒲原宏著 雪発行所刊)
昔ながらの中華そばの味は美味しいです。今風のラーメンは旨い
けど、片田舎の食堂で頂く支那そばの味は格別です。
今日は笹岡に在住の伯父さんに佐藤念腹師の旧居跡を訪ねたい
とお願いしたのです。佐藤念腹師のことをよく知っていて快く引き
受けた上に、句碑巡りも買って出てくれたのです。
出湯温泉石水亭前に念腹師の句碑が建っています。
(クリック)
ブラジルは世界の田舎むかご飯 念腹
昭和36年4月に34年ぶりに帰国されたのを機会に、当時の笹神
村公民館が音頭をとって同好の士に呼びかけて、石水亭の庭前
に記念の句碑が建てられました。
同年6月に郷党の知己句友に温かく出迎えられて句碑の除幕式
に参列した念腹師の感慨はいかばかりだったでしょうか。
次に向かった所は入口に案内櫓が建ってる笹岡城址です。
城址に上る手前に巨杉(周囲6.2m高さ24m)の「十郎杉」が立
っています。
細長い城址公園の一番奥に念腹師の句碑が建っていました。
浜木綿(はまゆう)に流人の如く草履捨つ
昭和52年11月3、4日笹神村主催の総合文化祭に「佐藤念腹展
」が開催されました。その時展示された念腹師手書きの色紙の句
が句碑となって残っているのです。
(クリック拡大)
碑陰に刻まれた笹岡時代の句が印象に残りました。
河骨(こうほね)や馬乗り入れてさかのぼり
念腹さんがみづほ師と出合い、高野素十師、濱口今夜師と亀田
の多くの俳人たちとの交流を深めて句作に精進された足跡を辿
ってみました。一時代、俳誌「まはぎ」へ投句して俳句に情熱を傾
けた人たちの熱い思いに触れるいい旅ができました。
(おわり)
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コメント
しゃくなげいろさま
無知な小生、佐藤念腹師の事は皆目知りませんでした。
浅学菲才の我なれば、俳句に親しみたいと思いつつも
ホトトギスはあまりにも高度過ぎて、・・・
貴殿が半世紀以上前に生を受けていたら、
今頃は大俳人ととして名を成していたかもね。
輝ジィ~ジ様 こんばんは。いつもありがとうございます。念腹師のことはユニークな俳号の人というイメージだったのですが、知れば知るほど凄い人だと認識を改めました。小生の俳句等は遊びの域を出ないのですが、念腹俳句は生活の記録で精神の拠り所だった訳で、その真剣さが俳句から伝わってくる凄さでしょうか。読む度に背筋が伸びる感じです。(笑)
投稿: 輝ジィ~ジ | 2015年7月25日 (土) 06時42分
いやー貴兄の博識ぶりには驚嘆しますよ!私は俳人は全く知りません!実は私の祖父は(もう50年以上前に亡くなりましたが)趣味で俳句をやっていまして句会を催したり、家の中には俳句が飾ってあったのを覚えています。私とは全然似ていませんね、私は山に生きますから!!
静岡の岳人さん こんばんは。昭和13年は歴史の教科書では国家総動員法、支那事変の年で、国民の青年男子はいつ招集が来るかという不安の裏返しに俳句に打ち込んだのだと思います。だから皆真剣だったに違いありません。年に数回ある大句会に全国から高野素十に直接指導を受けたという92歳の長老方も参加されますが、皆さん凛とした雰囲気を持っていますね。俳句が老いさせないのかもしれませんね。俳句を知ったから、オイラもこれからずーっと退屈しないで行けるかな?(笑)
投稿: 静岡の岳人 | 2015年7月25日 (土) 08時38分
素十ファンの一人です。蒲原ひろし先生の薫陶を受けて素十の勉強をしています。
写真付きで、足で歩いて取材され、正確な文章に感心しました。惜しむらくはプロフィールから貴兄の姿が浮かんできません。念腹を中心にさらに研究を進めて下さい。 良雨
蟇目良雨様 おはようございます。コメントありがとうございます。小生も今、蒲原先生に師事して弟子の末席をけがしている俳句修行の一書生です。蒲原先生の雪誌上の念腹特集記事に触発されて生家を訪ねてみたのです。素十も念腹も顔を知りませんが、素十忌も近づいて来たのでまた句作に励みたいと思っているこの頃です。
投稿: 蟇目良雨 | 2017年9月20日 (水) 15時57分
お久しぶりです。第四句集が出来ましたので差し上げます。住所をお教え下さい。蟇目良雨
投稿: 蟇目 良雨 | 2020年6月 6日 (土) 09時14分
お久しぶりです。第四句集が出来ましたので差し上げます。住所をお教え下さい。蟇目良雨
投稿: 蟇目 良雨 | 2020年6月 6日 (土) 09時15分