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2015年11月14日 (土)

晩秋の小佐渡紀行

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根本寺から約2キロ、小佐渡山脈の麓に古刹
清水寺(せいすいじ)を訪ねました。

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苔むした石段を上ると樹齢400年といわれる杉並木が続きます。

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鬱蒼と茂って日の届かない巨杉の根元は苔むしていました。

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広い境内と舞台造の本殿の景色には見覚えがあります。

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石燈籠の台座に天保九年戊戌(ぼじゅつ・つちのえいぬ)八月と刻
字がされていました。天保九年(1837)といえば江戸時代の後期
金鉱山が盛んだった頃、富裕な寄進者がいたものでしょうか。

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本堂の「救世殿」(ぐぜでん)の扁額も古びて年代を感じます。

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大和の長谷寺本堂を模して造られたという舞台の土台の橋脚が
新調されていました。古びて軋む舞台に上がっても大丈夫です。

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新穂大野にある清水寺(せいすいじ)は真言宗豊山派の古刹です。

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本堂の隣の客殿に架かる扁額の揮毫が力強くて素晴らしいです。
きっと著名な書家の筆によるものなのでしょうね。

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シオカラトンボが帽子に留まって離れません。

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次ぎは畑野から多田へ向かう岩首線を通って長谷寺を訪ねまし
た。長谷寺の名は大和(奈良県)初瀬の長谷寺に倣ったものだそ
うです。

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山門に「真言宗豊山派長谷寺」本坊と書かれています。

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石段を上りあがって観音堂に入りました。4体の十一面観音立像
が安置されていて、そのうち3体が国の重要文化財で1体が県文
化財指定だそうです。

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本殿へ長き石段濃紅葉

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観音堂の隣に二重屋根の五智堂の赤色が褪せかけた扉が年代
を感じさせますね。

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五智堂の更に上へ苔むした石段を上ると奥の院がありました。

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奥の院の石段を下って、五智堂の小広い境内に建つ苔むした石
燈籠に「天明三卯秋」の刻字をみつけました。天明3年卯年秋と
いえば浅間山の大噴火がありました。それが一因となって痛ましい
天明の大飢饉が起こった年でした。

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小倉峠を越えたバスは前浜海岸に出ました。海を見るとほっとし
ますね。

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赤泊港の沖には大型船が錨を下ろして停泊しているのが見えま
した。

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翌朝、朝食前に宿近くを散歩すると、防波堤で投げ釣りをする人
たちを見かけました。近寄って聞いたら、今は鯵が釣れるそう
です。

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名も知らぬ小鳥が餌を探して波打ち際を動き回っていました。海
は凪いで今日も晴れそうです。

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今日は絵看板にある「世阿弥の歩いた笠取峠のみち」を歩きます。

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海を見下ろす集落の高台に村の鎮守様がありました。祭神は猿田
彦命で庚申の日にこの神を祀り道祖神と結びつけたと由来が書い
てあります。
神留守の村社の下は日本海

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「庚申信仰はいはゆる、「カンサマ」として広宣され、豊作祈願・家
内安全・厄除け・後生安楽を願った。「オカネサン」と呼ぶ講の夜は
一粒万倍と多くの供物を供え庚申真言を唱えて勤行し、庚申の箸
を用いて会食した。」(じょんのび村今昔・石仏の話 大塚恒吉著)


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「県下全域でも真言宗・禅宗の信徒の地に庚申信仰が普及してい
るといわれることで頷ける。」(石仏の話)


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旧赤泊街道の梨ノ木地蔵のように村外れに数多の大小の石仏群
が立つ一画がありました。予防法のなかった時代には病気に罹ら
ないように、罹っても軽くてすむように命が助かるようにと村外れの
お地蔵さんにすがって祈りを込めたものでしょうか。

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人家の脇を通り抜け、山に分け入ると立派な道がついていました。
近在の人たちが村おこしの為に、世阿弥の道を整備したのだそう
です。

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かわいらしい白い花をみつけました。よく見るとキッコウハグマ(
亀甲白熊)でした。

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となりにはツルリンドウが赤い実をつけていました。

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多田港を見下ろす黒根集落のバス停からスタートした世阿弥の道
を辿って多田トンネルの真上に聳える208.6mピークに立ちまし
た。580年前世阿弥一行も同じ景色を眺めたでしょうか。

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木ノ間越に目指す女神山と男神山(拝み山・右)が見えました。

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通る人は少ないようですが、道はよく整備されています。
黄落の山幾つ越へ世阿弥道

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永享6年(1434)都を発った世阿弥が峠を越える時、京都の笠取
山を懐かしむ気持ちを込めて「金島書」を記したとあります。

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奥に見える尾根を辿ってぐるり、てくてく半日掛けてここまで歩い
て来ました。尾根の先に見えるのは日本海です。
小佐渡嶺の棚田を囲む稲架襖

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女神山、男神山も間近に迫って、この旅も終盤が近付きました。
小佐渡に残る古刹巡礼と世阿弥の道を辿り、思い出に残るいい
山旅が出来ました。

(おわり)

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コメント

しゃくなげいろさま
こんばんは
小佐渡堪能されたようで何よりでした。
真言宗豊山派と言えば総本山は奈良の長谷寺、
お江戸の護国寺は大本山を謳っていましたね。

こんにちは。訪問コメントありがとうございます。ご指摘ありがとうございます。おっしゃるとおり、佐渡の清水寺が模したのは真言宗豊山派総本山の長谷寺の本堂外舞台でしたね。こっそり後で直しておきます。(笑)総本山も大本山も本山には変わりありませんね。

投稿: | 2015年11月14日 (土) 19時09分

本当に佐渡島は歴史と伝統と文化のある町なんですね!魚も美味しいですし、山も花も良いですね。失礼ですが、ビックリしますね!佐渡島恐るべしです!また再訪したいと思います。その時は宜しく!!

静岡の岳人さん こんにちは。佐渡は居よいか住みよいかって佐渡おけさの文句じゃないけど文化と伝統満載で魅力的な所です。来春花が咲く頃、貸チャリンコと定期バスを乗り継いでゆっくり一週間くらいかけて佐渡一周をしてみたいと思っています。

投稿: 静岡の岳人 | 2015年11月15日 (日) 10時28分

しゃくなげいろさま
小生 ボケが始まったような・・・

投稿: 輝ジィ~ジ | 2015年11月17日 (火) 18時57分

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