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2018年5月24日 (木)

写生について

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5月6日(日)晴
「どっかと腰を下ろして粘れば、見えないものも
見えてくるよ。」とは主宰の言葉でしたが。

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廃城の畔ほつほつ花つつじ
今日は新潟からR49を福島方面へ1時間ほど車を走らせた旧安
田町の安田城址に吟行に出かけました。

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廃城のさくら蕊降るよき日和
「俳句の道は ただ これ 写生。これ ただ 写生」とは俳誌雪の
見開き1頁目に記されている先師高野素十の名言です。素十門の
弟子、孫弟子、曾孫弟子たちは90年間ずっと愚直に写生俳句の
伝統を守ってきたのでした。

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「(虚子)先生はあくびの出る程長い間、ものを見ていることです
よ。そうすると、いままで見えなかったものが見えてくる。いままで
になかったような心が動いて来る。」
「こんなことをいうと、ああ虚子の写生というものは結局あくびか
と軽蔑するでしょうがね。」とそんなことをいわれて破顔一笑され
たことがあった。(毎日新聞 昭和40年2月6日「あくびと俳句」
よりー「高野素十俳話」稿)

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あくびの出る程の凝視とはー「虚子は吟行句会で、決してあちこ
ち、うろうろ歩くようなことをしなかった。腰ををおろして悠然と自然
にひたるようにして句作していた。」と素十は語っていた。(中略)
凝視によって、虚子のいう「いままでになかったような心が動く
まで」に至って、ようやく、句が授かることを俗っぽく「欠伸の出る
ほど」との虚子の行実を伝えている。(「高野素十俳話」稿(11)
11月号 蒲原ひろし著)

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手折り来したんぽぽの絮飛ばさるる
「句が出来ないときは、こうやって自作自演するんだよ。」と笑って
蒲公英の絮を飛ばしてみせた主宰の姿が素十先師と重なったの
でした。

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みな涼し作句心得十箇条
俳誌雪の見開き1ページ目に掲載されている島田青峰先師の俳
句心得十か条はためになりますね。
句材に向かうといつも右往左往してばかりいるオイラが「あくびの
出るほど悠然と構えていられるようになるのには、後どれ位掛か
るものやら。

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・雪形の消えし田の神お迎へす
・用水のごんごん流れ田植どき
・鷺がきて鴉が見張る大代田
・菱ヶ岳大日山の緑立つ

写生句の旅はまだまだ続きます。

(おわり)

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コメント

なるほど句作は「ただ これ 写生。これ ただ 写生」ですか!・・・納得!哲学的ですね!

静岡の岳人さん おはようございます。素十門では、よく「俳句以前」といいます。作句には作者の為人(ひととなり)が出るものだから、日頃の鍛錬が必要だというのです。懸賞俳句などには見向きもせず、独立独歩吟行して写生俳句を追求するストイックさが魅力?の一門なのです。(^^)

投稿: 静岡の岳人 | 2018年5月24日 (木) 16時09分

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