賽の河原を歩く
岩谷口の岩窟で悟りを開いた弾誓上人はやがて弟子の担唱を伴
って遊行の旅に出ました。
小木湊から出雲崎へ渡り、越後米山、信州中野・須坂を経由して
善光寺に詣で、善行寺の裏山の虫蔵の岩屋に留まり各地に念仏
を弘めました。
やがて弾誓は江戸へ出て番隨意院白道のもとを訪れました。互
いに師資の芳契を結び、弾誓阿弥陀仏は檀特山弥陀直受の法の
口訣を伝え、番隨和尚から白旗一流の法を伝授されたのでした。
その後、箱根に山居し慶長13年(1613)に京都古知谷の阿弥陀
寺の岩屋で生涯を終えたと伝えられます。師を看取った担唱上人
は元和四年(1618)に佐渡へ戻りました。
島に戻った木食但唱は各地に地蔵信仰を再興しました。佐渡の北
端、願地内に「賽の河原」をつくったのは担唱上人といわれます。
弾誓上人が悟りを開いた岩谷口はこの世とあの世の境目でした。
入口からその先へ暗闇を来世に向かって歩くのです。願の岩屋の
海を眺めながらひたすら歩きました。
やがて岩窟をくぐりぬけて海府の賽の河原に出ました。願の海岸
を賽の河原に見立てたそこは、極楽世界にたとえられて、真更川
の山居の池へ通じる入口として設定された場所だったのです。
真更川の集落では今も毎年百万遍念仏がおこなわれるそうです。
桜の木でつくった大数珠を大家から持ち出して、村中の人が堂に
集まってお念仏を唱えるのです。
その日は、老いも若きもみんな一緒になって大数珠を持って堂の
中を走り回り、無病息災と五穀豊穣を祈るのだと宿の主人が教え
てくれました。
賽の河原を通過して藻浦海岸まできました。こちら側から見る二
ツ亀の景色は初めてでした。檀特山をめぐる木食行者たちの足跡
をたどる旅もこの辺で終わりにしたいと思います。
(北佐渡紀行 その9)
(おわり)
参考図書 越後・佐渡の山岳修験 鈴木昭英著 法蔵館
地蔵の島・木食の島 田中圭一 著
| 固定リンク
コメント
おはようございます。北佐渡紀行まとめ読みさせてもらいました。(笑)
神秘の地なんですね!
kazu1954さん おはようございます。今回リーダー当番になりまして、マニアックなコースにも結構募集がありましてそれなりに好評でした。(^^)
投稿: kazu1954 | 2018年7月12日 (木) 09時36分
「北佐渡紀行」薀蓄の有るなかなかためになる内容でした!お疲れ様ありがとうございました。
静岡の岳人さん おはようございます。北佐渡は興味深い所が多くて又訪れてみたいですね。コメントありがとうございました。
投稿: 静岡の岳人 | 2018年7月18日 (水) 17時21分