木食仏を拝む
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標柱の刻字は「木喰五行菩薩」と読めます。木喰上人は生涯に三
度改名したといわれます。「木喰五行菩薩」を名乗ったのは
76歳。寛政5年(1793)2度目の越後への旅の時でした。
享保3年(1718)甲斐国丸畑の名主の家に生まれた木喰明満は
若干14歳で江戸へ出て世の辛酸を舐め、22歳で仏門に入り、
45歳で木食戒を受け、56歳の時廻国修行の旅に出ました。
遍路と巡礼の旅は北海道から九州まで五千里、千体以上の造仏
をしたと伝えられます。
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山門の台座に直立した仁王像は一般的な仁王と
印象が違ってどこか愛嬌がありました。
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口を結んだ吽形像は大相撲の力士を感じさせました。その昔
旧小国町の小栗山村は長岡藩お抱えの力士を輩出した
大村でした。
小栗山村から大相撲に力士3人が出て、そのうち一人は小結まで
昇進したといいます。
山門の柱の護符と天井絵と寄せ書きはこの寺を参拝した大相撲
の力士のものだそうです。
寺院は小高い山の上の広々とした境内に建っていました。南北朝
時代の山城址に建立されたと梵妻様(奥様)が教えてくれました。
本堂の内陣奥に木食五行上人作の「金毘羅大権現像」50.5cm
がガラスのケースの中に安置されていました。
本堂の広い裏庭 に観音堂があって、中に木食上人作の梨木観音
が祀られていました。
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鉈彫の笑む力士像寺小春
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寺を去る時、名残惜しくてもう一度よく拝観させて
もらいました。今日の小春日と相まって、木食上人の
微笑仏のやさしさに触れた一日となりました。
(おわり)
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コメント
木喰上人の仁王像 見事ですね!木喰仏いろいろ有りますがこんなに大きいのは初めて見ました。運慶、快慶にも負けていませんね!
静岡の岳人さん おはようございます。木食仏を初め見たのは佐渡の清水寺でした。木食さんは越後に足跡を残したのです。運慶、快慶の筋骨隆々の仁王像とは一味違うやさしいお顔の仁王像でした。
投稿: 静岡の岳人 | 2018年11月21日 (水) 10時59分