良寛道を歩く
漢学の師の御墓は竹の春
寺泊当新田にある大森子陽の墓にお参りしました。
茶の花のまろまろとして静心
誰が植えたのか、茶の花がひっそりと咲いていました。
良寛の十字名号秋の澄む
次に訪ねたのは夏戸の浄土真宗本光寺です。
貞享2年(1685)、全越後の真宗寺院を二分して異安心について
教義論争が起こりました。その裁定の時、大谷派から仏光寺派に
転派したとご住職が話してくれました。
『としよりて もみが よわいを よみてみむ
まつのちとせの ありかずにして 』
と書いてあるそうです。胃腸が弱かった良寛さんが丸薬の
御礼にと残した句碑だと聞かされました。
良寛の碑陰をなぞり秋惜しむ
このお寺では代々《金証丸》という丸薬作りの寺として有名だった
と坊守様(奥様)が教えてくれました。
夏戸城跡が残る山の北麓にトキの分散飼育センターを訪ねまし
た。旧夏戸小学校の廃校跡に設置されたゲージの中にトキ
がいました。
晩秋の廃校跡に朱鷺の棲む
置物のように動かない、つがいのトキが仕切り板を挟んで2羽
ずつ4羽止まり木にいました。
ゴルフ場の脇を通り、峠を越えて海辺の村に出ました。良寛さん
が修行の旅から戻って最初に逗留したという郷本の空庵跡を訪
ねました。
目鼻なき石の仏に赤とんぼ
海を見下ろす高台のお寺の境内には地蔵仏や五輪塔が立ち並
び、今日穏やかな海と空とに余計、冬の厳しさが偲ばれました。
寺泊海岸の松林に出てランチにしました。潮騒を聞きながら、茶
のお師匠さんから野点を頂きました。
寺泊の古い町並みは山側にあって、どこの家も庭先に石蕗の花
が咲き始めていました。
良寛の踏みし落葉の磴を踏む
越後巡礼20番札所の真言宗智山派の照明寺にのぼりました。
境内の一画に良寛さんが逗留した密蔵院があります。
廃帝の行在所跡山紅葉
順徳帝が鎌倉時代討幕の挙兵で敗れ、佐渡へ配流となった事件
(承久の変1221年)。航海の風待ちの間、寺泊の山中に仮御所
が置かれました。
北国のもうけ日和や御講凪
高台に立つと海境の沖に佐渡が淡々と浮かびました。
晩秋の一日、寺泊周辺をゆっくり歩いて良寛さんを偲びました。
(おわり)
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コメント
確かに越後には真宗の立派なお寺が多いですね!
トキがだいぶ増えたとの話を聞きますが、佐渡島以外にトキの分散飼育センターがあるんですね!
野点をやったり、晩秋の一日ゆっくり歩いて良寛さんを偲ぶのも良いですね!
静岡の岳人さん おはようございます。越後の門徒寺は戦国大名の越後入りまで遡る古いお寺が多いようです。トキの飼育センターは佐渡とよく似た風景の村の中にありました。敢てそういう場所を選んだのかなぁ。晴れて穏やかな儲け日和の一日でした。
投稿: 静岡の岳人 | 2018年11月 7日 (水) 08時56分