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2019年5月

2019年5月26日 (日)

笑む力士像

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5月12日(日)晴
午後、山越えして旧小国町の真福寺を訪ねました。
真福寺は南北朝時代から続く古刹です。

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上は口を開けた阿形像、下は口を結んだ吽形像です。
東大寺南大門の強面の金剛力士像とは趣を異にして
どこか優し気な仁王さんでした。

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その昔近郷には長岡藩お抱えの力士がいて、小栗山村は代々
大相撲力士を3人も輩出した大村で、そのうちの一人は小結
まで昇進したといいます。山門の仁王像はそんな謂れに由来
するものかもしれません。

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広い境内の一隅に二十二夜塔がありました。旧暦22日の
月待の記念として女人講中によって建てられたものです。
月待つ間、飲食を共にして経を読み月を拝んで本尊の
如意輪観音に祈ったものでしょう。

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木喰行道上人は生涯に3度改名しました。天明5年(1785)
に佐渡を離島してから17年後、享和2年(1802)85才
の時、2度目の越後入りをしました。その2年後、87才の時
寺に逗留して木彫佛を残しました。

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(クリック拡大)
「日本千タイノ内 天下和順 奉納二王尊 日月清明
享和四子五月二日ニ 作天自在法門 木喰五行菩薩
八十七才(花押)
当山十四世 円成和当代ニ」
と仁王像の後ろの墨書を和尚様が説明してくれました。

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「見えるかい。」
御堂の裏山の観音堂に安置されている木食上人作の立木観音
を拝みました。

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帰途に長岡かまぶろ温泉に寄りました。床に敷いた塩の上に
藁を敷き、その上に寝そべって汗を出す古式のサウナ風呂
です。汗を絞ったら源泉かけ流しのぬるい温泉にざぶんつ
浸かる豪快な湯でした。
今日は初夏の新緑と微笑仏にほっこり癒されたよき日に
なりました。
(俳句)山門の笑む力士像聖五月
(おわり)

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2019年5月22日 (水)

木食仏を拝観する

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5月12日(日)晴
今日は会山行のリーダー当番で時水城山(小千谷市)に登り
ました。城山は小千谷の街の背後、信濃川左岸に沿って延びる
西山丘陵にあるピークで遊歩道が整備されています。

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その昔戦国時代、上杉謙信の将曽根氏が治めていました。
一帯は豪雪地帯なので冬城がありました。

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木に絡みついた山藤が見事でした。

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(俳句)魚沼のづくなしといふ花うつぎ
卯木の花が咲き始めました。稜線上から八石山が見えました。
いつも見える筈の米山と黒姫山(くびき三山)は夏霞の中でした。

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(俳句)小千谷より小国へ峠朴の花
朴の花が咲き出しました。甘い芳香に足が停まりました。

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(俳句)「清水のむかたはら地図を拡げをり(高野素十)」
山麓の馬場清水は新潟県の名水に選定されています。
「一口飲めば病も治る」の言伝えに近郷からの水汲む人でいつも
賑わっているのでした。

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午後、山越えして小国町の真福寺に木食仏を訪ねました。
木喰五行菩薩とは木喰行道上人の別名なのです。続きは後日。
(おわり)

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2019年5月11日 (土)

令和元年のわらび採り

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5月11日(土)晴
(俳句)筒鳥の早や鳴きそめし長(た)け蕨

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(俳句)残雪の山を背(そびら)にうどを掘る
残雪の飯豊連峰にとっくりと見惚れていたら、ふとして
独活をみつけました。味噌をつけていただく若独活は酒肴
に最適なのです。

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(俳句)山一つ越せば奥阿賀太わらび
雪解けあとに太わらびがニョキニョキ。採っても採っても
ありました。

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(俳句)ゆるびたるぜんまいの葉のうすみどり
ぜんまいは平らな葉を広げ始めて、ぜんまい採りの時期
は終わったようでした。

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(俳句)遠山の雪ほゞ消えしわらび時
先月ここから見た山の雪も雪解けが進んだようです。

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(俳句)夏めきて令和改元恙なし
ウワミズザクラが咲き始めました。熊蜂が忙し気に飛び回る
よき日和になりました。これから朴の花が咲き、越後の山も
夏に向かっていい季節を迎えます。
(おわり)

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2019年5月 9日 (木)

平成名残の山菜採り

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4月29日(月・祝)晴
(俳句)ぜんまいは地涌(じゆ)の菩薩のごと生へり
俳人川端茅舎が「ぜんまいののの字のの字の寂光土」と
詠んだように今年もぜんまいの季節になりました。

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(俳句)ぜんまいに跼(しゃが)めば山の風薫る
金の綿帽子のゼンマイは春の息吹を感じます。

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(俳句)雪残る二王子岳に春惜しむ
高台に立つと飯豊連峰の前衛峰が残雪に光っていました。
二王子岳も除雪が進んでアプローチ道路が開くと、いよいよ
登山シーズンが始まります。

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(俳句)山寺の十二神将春祭
下山してきたら麓の集落で薬師堂の春祭の幟を見つけたので
お詣りに立ち寄りました。御堂は国の重要文化財の古刹でした。

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(俳句)奥阿賀の平家ゆかりの春の寺
境内から残雪のマンダロク山がよく見えました。川内山塊
もブナ林と残雪が美しい季節を迎えます。

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(俳句)黄びたきの水のみに来て色をひく
羽の紋が特徴的なキビタキがひつひつと鳴いて
鮮やかな姿を見せてくれました。月が替われば令和元年
が始まります。
(おわり)

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2019年5月 7日 (火)

万葉集の弥彦山

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4月22日(月)晴
新元号の「令和」の出典となった万葉集に、弥彦山を詠んだ
歌碑が御神廟にあったことを思い出して訪ねました。

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万葉集 巻十六
伊夜比古 おのれ神さび 青雲の たなびく日すら
小雨そぼふる
と韻文の万葉仮名で書かれた碑です。

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(クリック拡大)
伊夜比古 おのれ神さび 青雲の たなびく日すら
小雨そぼふる
その下にはひら仮名で書かれた歌が刻字されていました。

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御神廟のある弥彦山を別名神御剣の峰(みつるぎのみね)
といいます。昔は弥彦山といえば双耳峰の多宝山633.7m
と南の神剣峰の二峰を指したのですが、平成の大合併で
多宝山は新潟市に、御剣峯はが弥彦村に分かれてしまい
ました。

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「伊夜彦、伊夜比子共ニ同ジ歌枕ナリ。元来三剣山ト云ヘリ。
二十四町上リテ頂ニ神廟トテ石ノ小社アリ。此ヨリ国中ノ眺望
最モヨシ。東面ニ大老ノ松樹生イ茂リ、麓ノ尾上ニ一宮
伊夜比子大明神鎮座ナリ。(越後名寄 弥彦山)

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「越後名寄」は江戸時代中期の越後三島郡の開業医丸山元純
という人が史料や口碑を集めて書いた百科全書で、その中に
弥彦山が紹介されています。

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山麓の参道の「万葉の道」には万葉集に詠まれている植物
で弥彦山に自生するものの歌が並んでいました。

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(俳句)どこからか禰宜の龍笛春惜しむ
新元号に代ったらどんな年になるのか今から楽しみです。
(おわり)

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2019年5月 4日 (土)

真更川から北小浦

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ゼット坂に上る途中、泊川から大瀑布が視野に入りました。

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ゼット坂に佇って関の眺めを振り返りました。さらば知行山、
海馿の峰よ、また来る日まで。

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(クリック拡大)
真更川から北小浦への縦貫道に入って、途中山居池に寄り
ました。大ザレ川の源流になっている山居池は、静まり
かえって神秘性を湛えていました。

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山居池には昔から大蛇伝説がありました。真更川の村娘
と池主の大蛇との悲恋物語です。二人を憐れんだ行者が
建てた慰霊碑がありました。

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山居池から程近い山中に光明仏寺を訪ねました。佐渡の
木喰行者の始祖弾誓上人の遺徳を慕って、2代担唱上人
と3代長音上人が建立したと伝えられる寺院は今は無住寺
です。

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浄厳上人による利剣名号塔が門前に建っていました。
利剣とは不動明王の持つ剣尖の文字が魔を払うのです。

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(俳句)北佐渡の山桜又山ざくら
内海府の北小浦集落に下る直前に「与六郎桜」の開花に
間に合ったようです。

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超弩級の大桜は樹齢400年の佐渡市の天然記念物に指定
されています。

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知る人ぞ知る、山陰にひっそりと咲く桜大樹を見ることが
出来て、佐渡旅行最後のいい思い出が出来ました。
(おわり)

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2019年5月 3日 (金)

トドの峰はジオサイト

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海馿の峰の北面の峨々たる岩壁に鎧われている「鏡岩」に
行ってみました。

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ここは佐渡市の指定天然記念物なのでした。地震の主原因の
断層のズレ運動の時、岩盤の擦過熱で断層の面がツルツルに
なったというのです。

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素手で触れてみると、ほんとツルツルでした。

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トドの峰山麓の畑をちょっと指で掘ると「木の葉石」という
化石が見つかりました。佐渡がまだ大陸と地続きだった太古
の話です。大陸の縁が割れて大きな湖が出来ました。

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その頃ここは湖の底だったのです。地殻変動で大陸から
分かれた後、隆起して今の形となってから湖に堆積した
2千5百万年前の植物化石を今、見ているのでした。

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(俳句)菜花畑島に太古の化石掘る
オイラも葉の痕がくっきりと表れた化石を見つけました。
(おわり)

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2019年5月 1日 (水)

文弥人形座を訪ねる

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北佐渡の関集落内にある関栄座を訪ねました。まだTVが普及
していなかった頃、村から村へ人形芝居の興業が全盛の時代が
つい最近まであったのです。

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隣村の矢柄集会場の前に文弥太夫の名人北村宗演師匠の
顕彰碑が建っています。北村宗演師の名演奏を知ったのは
県立図書館に保存されていたCDを聴いた時でした。

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「佐渡の文弥節ー北村宗演の世界@北村宗演(語り)」
(フォンテック・レーベル)山椒大夫 鳴子曳きーは胸にずんと
くる魅力的な語りでした。

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北村宗演師は「三味線の撥さばきが鮮やかで、その日の気分や
アレンジでも節が狂わないので、役者がいつもピタリと足をあわ
せられた。「宗演の語りでないと人形が死ぬ」と録音したテープ
を劣化しても使っていた。」(「佐渡の人形芝居」)

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という北村宗演師の紹介文のとおり、この日も伴奏の太夫語りは
使い古して伸びきった、宗演師匠のそのテープの音だったのです。

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古浄瑠璃は3人掛かりで人形を操りますが、佐渡文弥は小型の
木偶の一人使いなのです。人形使いの人の平均年齢は70才を
優に超えたそうです。

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人形使いはみな農家のおばちゃんたちなのです。嵩張る重さの
木偶人形を一心に使う熱演に、いつしか拍手が起こりました。

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(俳句)北佐渡の泣き文弥みて春惜しむ
見る方も使い手を気遣う心と心の交流が感じられて、今日は
ほっこりとしたとてもいい日になりました。
(おわり)

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