« 2020年4月 | トップページ | 2020年6月 »

2020年5月

2020年5月31日 (日)

下田の古城址を訪ねる

Img_0849

5月14日(木)晴
三条から下田へR290とR289が重なり分かれる辺り、
原城山城址入口の杭を見つけて、大平川に沿って田んぼの
一本道を山側に向かいました。

Img_0858
(クリック拡大)
本丸跡に登ると五十嵐保(ほ)の沖に高城が見えました。
五十嵐保とは土着豪族の五十嵐氏が五十嵐川周辺を開墾した
五十嵐氏の領地でした。原山城の別名栄雲寺城は高城を居城
とした下田長尾氏の支城で、有事の際は烽火(のろし)を上げ
て急を知らせる物御台としての城砦だったようです。

Img_0851

麓の赤い山門が印象的な禅寺栄雲寺を訪ねました。山門を
くぐると境内で作業中の坊守様(奥様)から遊歩道のこと
など教えて頂きました。

Img_0850

門前の寺の由緒です。「永禄11年(1568)春、高城々主
長尾藤景が春日山城(上越市)で庄本庄繁長に謀殺された報せ
が早馬で城下に知らされた。家老長尾外記入道は急いで城をか
ため、出城であるここ原の城の堀を深くし逆茂木を造って守っ
た。高城攻めは栃尾城主の本庄実乃(さねより)が総大将で
人面峠から攻めかかった。原の将士は懸命に戦ったが多勢に
無勢で玉砕した。城跡の下にある栄雲寺で戦死した勇士の菩提
を弔い、家老の外記入道も同寺に祀られている。」

Img_0857

永禄11年は戦国時代、織田信長が足利将軍を擁して上洛を果
たした年でした。雪深い越後国ではそんな事件があったのです。
遊歩道を山頂部には古城跡の縄張(遺構)が残っていました。
山頂部は策平、南北稜線に堀切があり北側は二重の堀切で西側
斜面に堅掘がありました。

Img_0860

広い山頂にはベンチが置かれて公園になっていました。

Img_0869

下山してR289に乗り、下田長尾氏の居城高城々跡へ向かい
ました。麓に下田長尾氏の菩提寺の長禅寺がありました。

Img_0887

墓地裏から遊歩道を登ると鉄塔の立つ標高203.7mの長山
に続き、「ヒメサユリの径」が始まりました。3等三角点は
ついにわかりませんでした。標高373mの高城は東西に尾根
が走り、南北は急斜面の典型的な山城でした。

Img_0877
(クリック拡大)
ヒメサユリはまだでしたが、ビューポイントから残雪の守門岳
が見事でした。

Img_0890
Img_0900
Img_0879
(クリック拡大)
東西500mの尾根を削り曲輪を配して空堀や高土塁の遺構が
残っていました。広い山頂の御丸跡から眺めた守門岳は雄大
でした。
(おわり)

| | コメント (2)

2020年5月19日 (火)

山寺に石仏を訪ねる

Img_0733

5月8日(金)晴
鍾乳洞のある大沢山の登山口は大沢峠の県道から始まりました。

Img_0736

山の斜面を著莪の花が一面覆うように繁茂していました。

Img_0746

平日のローカルの山径は静かで誰にも遇いませんでした。

Img_0752

眺望のない杉林は森閑として、自分の足音さえしない静寂
(しじま)の中を黙々と歩きました。時折聞こえてくる筒
鳥の声が夏の到来を告げているようでした。

Img_0749

眺望のない山頂の3等三角点にタッチして、往路を戻り
ました。

Img_0759
Img_0742

下山の途中、鍾乳洞に入ってみました。

Img_0757

細くて狭くて急な鍾乳洞の階段を下りて行きました。
ヘッデンの弱い光が壁面を照らし出す度に黒い影の塊りが
波のように押し寄せるのは、コウモリの大群でした。

Img_0761

今が繁殖期だったのです。薄気味悪いので、逃げるように
穴を抜け出しました。ヤブの中にひょっこり山菜採りがい
ました。

Img_0763
(クリック拡大)
五泉市側に下りてR290に乗ると尖りの白山烏帽子山が
見えてきました。「村松のマッターホルン」の異名は冬積雪
期に見る角度によって、優美な姿に変貌するのです。

Img_0768
Img_0769
(クリック拡大)
白山烏帽子山の麓の村の山寺に石仏群が安置されていました。
(俳句)穏やかな五月の風の佛たち   石南
剥落の石仏は皆笑みをたたえて優しいお顔をされていました。

Img_0766_20200519201201
(クリック拡大)
(俳句) 伝説の蟹供養塔木の芽風
「山川草木悉皆成仏」-自然の恵みに感謝し、自然の脅威を
畏れ受容して自然と共生する仏教観。以前読んだ梅原猛さん
の本にそんなことが書いてあったと、思い出したのです。

Img_0772
(クリック拡大)
田の沖に白くかがやく飯豊連峰があんまりきれいなので
停車して眺めてしまいました。

Img_0775
Img_0776
Img_0778
(クリック拡大)
帰りにクマガイソウの群生地に寄りました。今日は一日
誰とも遇わず、自然とじっくり向き合えたように思えます。
(おわり)

| | コメント (2)

2020年5月15日 (金)

浜崖を見に行く

Img_0726

5月3日(日・祝)晴
早朝青山海岸に浜崖を見に行きました。冬、シベリアからの
季節風に浸食されたのでしょうか。荒々しい断面と風紋が
はっきり刻まれていました。

Img_0716

地元紙の朝刊に記事を見つけたのです。それを確かめようと、
青山海岸はすぐなので、散歩がてら裏の浜に出てみました。

Img_0719

早朝の浜辺はすがすがしい。砂丘地には弘法麦が生えていま
した。誰もいない早朝の砂丘を歩いてみました。

Img_0721

「かすみたつ はまのまさごを ふみさくみ かゆき 
 かくゆき おもひそ わかする」
(会津八一 歌集「南京新唱」「望郷」)

Img_0725

会津先生の望郷の歌はいいですね。浜辺を歩くと、いつも
ふっと思い浮かぶのです。

Img_0730

波消にもたれ浜辺の春惜しむ
釣人が投げ釣りをしていました。ぼーっとして寄せる波
ばかりを見ていました。
今はコロナ禍が終息することを願うばかりです。
(おわり)

| | コメント (2)

2020年5月13日 (水)

山芍薬が咲きました

Img_0669
(クリック拡大)
4月30日(木)晴
(俳句)馥郁と山しゃくやくの四月尽  石南
ふっくらと上品な花が咲きました。

Img_0629

1/25000地図を見ると緩い間隔の等高線が谷奥まで広がる
コノイリ沢沿の緩斜面は1964年の東京オリンピック前まで
は石積の棚田だったそうです。

Img_0639

角田山が人気の花の山としてデビューするずっとずっと前
私が中学生の頃、仲間と登った角田山の遠い記憶です。

Img_0644

今日も御仁とバッタリ。御仁の夢は昭和36年頃の棚田風景を
コノイリ沢に再現したいというのです。懐かしい心の故郷が
ホントに出来たらうれしいです。私、応援してま~す。

Img_0650

黒い口から長い舌を出しているように見えるウラシマソウ
を見つけました。

Img_0661

杉林の湿地にウルイが出ていました。

Img_0662

ひとりしずか(一人静)が花穂をたてていました。謡曲の
「吉野静」もなかなかいいですが。

Img_0665

暗い林内にエチゴキジムシロの黄色の花明りが目をひきました。

Img_0666
Img_0709
Img_0712
(クリック拡大)
今年は佐渡の山中に山芍薬を探しに行く積りだったのですが
コロナで渡島できない代わりに角田山で出会えたのでした。

Img_0680

ラショウモンカズラ(羅生門鬘)は渡辺綱に切り落とされた
羅生門の鬼の腕に見立てたそうですが、よくよく見るとやはり
ちょっとグロテスクです。
(おわり)

| | コメント (2)

« 2020年4月 | トップページ | 2020年6月 »