日記・コラム・つぶやき

2025年11月 7日 (金)

秋惜しむ

035_20251101164701
(クリック拡大) 猿毛岳より粟ヶ岳をスケッチ
10月29日(木)晴
(俳句)薬師様とふ山の名に秋惜しむ
一枚のスケッチ画を描き終えた。10月15日に山の会の山行で
猿毛岳(加茂市)に登った。山頂に建つ小屋前の小広場のベン
チから粟ヶ岳が良く見えた。山肌が赤く見えたのは紅葉が始ま
ったからだろう。その後初雪が降った。最近は熊の出没が多く
なった。この山域でも熊が出ている。登山口にある熊注意の看
板が真実味を帯びて怖いので、山の会の山行が貴重に思えて来
た。大勢で登るのが安心で安全に思えるからだ。猿毛岳は昔ス
キー場があった。若い頃スキーの練習に猿毛岳のスキー場や隣
の冬鳥越のスキー場によく出かけた。加茂駅から今は廃線にな
った蒲原鉄道の満員電車に揺られて冬鳥越駅で下車すると駅の
前が直ぐゲレンデなので人気のスキー場だった。ランチの後、
下山路の途中に藪に半分隠れて放置されたリフトの残骸を見つ
けた。あの時代からもう半世紀以上が経ったのだなぁとしみじ
みと思った。

018_20251103074601

新潟市街から東南方向に聳えてよく見える名峰粟ヶ岳1292m
は別名が「山頭山」「三峰山」「牛形山」「薬師様」(百山百色)
とこんなにある。見える方向によって山容が変るからだろうが
古来よりの信仰の山だからだろう。新潟県内にある「薬師」を
冠する山は32座、うち下越は6座。(百山百色より)夫々の山
の別名を数えたらもっと多いかもしれない。信仰の山としての
粟ヶ岳ー「単なる登山の対象ではなく田の神信仰と結びついた
農耕文化の象徴的存在として地域の精神文化に深く根ざしてい
る」(AIcopilot) AI検索による田の神信仰との結びつきとは
興味深い。そんなことを思いながら句を詠んでみた。
(おわり)

| | コメント (2)

2025年9月12日 (金)

秋晴れ

056_20250910092601
(クリック拡大)   アルプの里より飯士山
8月28日(木)晴れ
(俳句)霧晴るる奥魚沼の山の青
正面に飯士山が間近に見えました。またの名を「上田富士」
とも称されるのはその昔、湯沢を含む一帯は上田長尾氏が領
有する上田庄と呼ばれて上杉景勝や直江兼続等の名将を生んだ
土地柄だったことに因むようです。北西面の「負欠スラブ」の
大岩壁を抱いて立つ西ノ峰と右に南峰を従えて聳える堂々の独
立峰の姿にしばし見惚れてしまいました。

027_20250911044901
(クリック拡大)
(俳句)秋晴れの蓮華升麻の花浄土
レンゲショウマは花が蓮、葉っぱがサラシナショウマに似る
ことに因んで命名されたとか。俯きがちに咲く愛らしい花は
「森の妖精」とも。レンゲショウマに似る黄レンゲショウマも
まだ蕾のままでした。標高1,000mの涼しい高原の林床に自生
するレンゲショウマの花期はこれからのようでした。

054_20250910094201
(クリック拡大)
(俳句)奥峡のトンネル口は渓の秋
魚沼こしひかり御膳は御飯が美味しくて2杯もおかわりしま
した。昼食の後、湯沢の背後の魚沼丘陵を越えて清津峡に
下りました。清津峡は柱状節理が谷の全体をを覆う峡谷美
がすぐれ、国の天然記念物に指定されました。昭和63年
(1988)に峡谷登山道で落石死亡事故があり、歩道トンネル
建設着工、開坑となる歴史がありました。坑口の水鏡がSNS
で話題となり、インスタ映えするスポットとして一度は訪ね
てみたい名所になりました。

032_20250911121301
(俳句)秋の日の峯の白雲動かざる
俳句歳時記では今はもう秋。でも、こう日々暑くては木々も山
も青々として「山装ふ」錦秋はまだまだ先のようですが、紅葉
の頃にまた訪ねてみようと思います。
(おわり)

| | コメント (2)

2025年9月 5日 (金)

キツネノカミソリ

011_20250826074901
(クリック拡大)
8月24日(日)晴れ  酷暑続く
(俳句)盆過ぎのきつねのかみそり物語
溽暑の午後キツネノカミソリの咲き具合を見にでかけました。
妙光寺の広い墓参用駐車場はガランとして隅に1台だけ。墓の
間を通り抜け、小沢を渡り登山道に取付きました。息苦しい程
の暑さ中を登ってい行くと、下山して来た一人の老女とすれ違
いました。白花を見つけたのはこの辺だったかしら?と話すの
に興味をひかれ、後に付いて歩きました。ジグザグに登ると汗
が目にしみるので、度々立ち止まっては汗を拭きました。老女
はどんどん先に登って行きました。離れてしまったのでおーい!
と呼ぶと、おーい!と返事が。遠くて何を言っているのか聞き
取れません。おーい!と呼ぶともう声は聞こえず、静寂とツク
ツクボウシの声が耳に蘇りました。少し不安になったので登っ
て行くと草の上に真緑色のスイッチョンが。草むらのキツネノ
カミソリに日が射して輝き、ひらりと舞い降りた黒揚羽の美し
さに見惚れてしまいました。
老女の姿はなく、もう誰もいない花野でいつか聞いた妖狐譚の
ことが頭を過ぎりました。下界は墓地、ここは古墳の山なのだ
だからと思い直してゆっくり山を下りました。
(おわり)

| | コメント (2)

2025年8月24日 (日)

久闊

001_20250819164801
(クリック拡大)     七ツ小屋山より蓬峠
8月19日(火)晴れ
(俳句)久闊の友の逝きけり夏の果て
私の学生時代、部活の山仲間のOB氏の訃報を聞いた。故人は
私の1年先輩で後輩の面倒見がよい人望のある人だった。昔蓬
ヒュッテで小屋主から自炊の手際がよいとほめられたことがあ
ったとを思い出した。そんなある日、OB仲間からラインで54
年前の夏合宿の計画書と写真が届いた。手書きガリ版刷り21頁
のPDFだった。54年前とは昭和46年(1971年)7月28日~8
月5日までの飯豊連峰主脈縦走の計画書だった。
越後下関駅で下車、大石集落まで入りゴンドラ幕営地で1泊。
翌日は東俣川林道の終点まで歩いていた所をたまたま通りかか
った村の人の善意でトラックの荷台に乗せてもらったことを覚
えている。終点からブナイデ沢の渉り場で一人ずつザックと自
身がゴンドラに乗り、引綱を引いて26mの河身を渡り、対岸の
カモス峰に取付く。杁差岳、北股岳、御西岳、大日岳を往復し
、飯豊本山、種蒔山、三国岳、地蔵山経由して川入へ下る南下
コース組と、その逆コースを登る北上コース組に分かれて、部
員40人が半分の20人ずつ分れ、各10人編成のパーティー2班
ずつ南下組と北上組がコース真ん中の十文字小屋に集中、スラ
イドする計画だった。

002_20250823141301

「越後の山旅 上巻(藤島玄著)」「飯豊連峰大地図(藤島玄著)」
飯豊山地の情報は主に両書に頼った。関係個所は何度も読み返
して部員皆で計画を練った。係分担では私は新潟だから飯の炊
き方は上手いだろうと言われ、食料班になった。3食8日間の献
立表を作った。昼食のパンは大学近くの馴染のパン屋さんに頼
んで日持ちするフランスパンを8日分を人数分焼いてもらった。
昔はフリーズドライ等なかった時代なので、只ひたすら8日分
の鯨の大和煮の缶詰と玉葱とジャガイモと米をキスリングのポ
ケットに詰め込んだ。気象班はNHK第2放送の漁業気象情報を
天気図に書き込む練習に懸命だった。地図班は5万分地図とに
らめっこして高低差グラフを作成した。
写真の中の仲間は皆若く、重いキスリングを背負っていた。今
では見かけなくなったキスリングとは横長で大容量、丈夫な帆
布性のザックのことで、重いテントや共同装備、8日分の食料
と水、個人装備をパッキングすると30、40㎏になるのを当た
り前のように担いで只黙々と登った。私は南下コース組だった。
カモス峰を登る日も今日の様に暑かった。千本峰の辺りで水筒
の水が底をついた。前朳差岳を登りあがって着いた長者原の景
色がまさに天空の楽園のよう思えた。透き通った池塘の水に顔
を浸して飲んだ、旨かった。(野猿が水浴びしたかもしれず、
微生物や雑菌の巣のような池塘の水など怖くて、今ではとても
飲む気はしないが。)同じ班のライン仲間から皆それぞれに苦
労したエピソードが寄せられた。

Img_0185

従来は西俣川経由で大熊小屋に至り杁差岳に登るクラシックル
ートがあったが、第19回新潟国体の登山会場として東俣川経由
の登山道が昭和38年秋に開削された。大石ダムの建設工事着工
が1970年で竣工の1978年には旧来の東俣川林道はダム湖の下
に沈み、苦労して渡ったゴンドラの代わりに第2号鉄橋(ブナイ
デ橋)が架かった。「久闊(きゅうかつ)」とは長い間人と会って
いないことや便りを交していないことを意味する言葉である。
(Microsoft CopilotあなたのAIアシスタント)
図らずも54年前の飯豊連峰縦走夏合宿の計画書を送ってくれた
OB氏のラインを通して大学時代の部活の友人と久闊を叙した
一日となった。
(おわり)

| | コメント (2)

2025年8月10日 (日)

風は秋

053_20250810055401
(クリック拡大)  弥陀ヶ原より月山
8月9日(土)晴れ
(俳句)ひろびろと草ひろびろと風は秋
酷暑が続く毎日ですが、暦の上ではもう秋。時折吹く風に心地
よい秋を感じます。
「阿弥陀如来が祀られていたので「弥陀ヶ原」と呼ばれる。月
山弥陀ヶ原は霊峰月山の8合目に広がる高山湿原地帯「天空の
楽園」と称されるスポット。御田原神社があり稲田の守護神、
奇稲田姫神が祀られている。」(AIあなたのアシスタント)
時折現れる池塘に生えるホタルイ(蛍藺)を神の田圃すなわち
御神田に例えたものでしようか。
3
木道脇に生えていたオオバギボウシの花、ピンクの愛らしい花
はハクサンフウロ、池塘のいくつかはご覧の通り干上がってい
ました。ギボウシもハクサンフウロも水不足と酷暑に元気なさ
そうに見えました。
6
下山の途中に立ち寄った休憩所脇には注連縄を掛けた巨大な兎
が祀られていました。なぜ兎?と思ったら、「月に兎」でした。
月山すなわち月読命の山に向いている兎だったのです。患部を
なでると御利益があるというので座骨神経痛が早く治りますよ
うにと兎さんのお尻と後ろ足のあたりを懇ろに撫でてお参りし
ました。
(おわり)

| | コメント (2)

2025年8月 1日 (金)

晩夏光

002_20250801065101
(クリック拡大) 
8月1日(金)晴れ
(俳句)影の神かげりて島の晩夏光
「影の神」は佐渡市後尾地区にある巨大な岩島で霊的存在と
して崇められて来た所です。名前の「影の神」は霊峰金北山
の祠の影が岩に映ることに由来する説、また「鹿毛の霊(かみ)」
とも呼ばれ鹿毛の馬が人に化けて現れるとい怪異譚、はたま
た岩のシルエットが牛が眠っている姿にも見えることから、
金北山の神の使いだった説と諸説云い伝えが残る神秘性を秘
めた場所なのです。島の南側に洞穴があり、弘法大師が修法
を行った所で、その奥に観音像が安置され舟でゆくしか参拝
ができない神聖な空間があるといわれます。影の神の頂上に
は槇柏(しんばく)が密生しており、採ると大時化が来ると
云い伝えられています。

Img_20250703_162742
(クリック拡大)
高さは約30m、周囲約320mの一枚岩の溶岩ドームで約2,000
万年前の火山活動によって形成された流紋岩質の巨岩で岩肌に
縞模様が見られ、粘性の高い溶岩がゆっくり流れた証拠といわ
れまています。佐渡ジオパークにも登録されています。
(Microsoft Copilot(あなたのAIアシスタント)より)
あと1週間もすれば暦の上ではもう秋。過ぎ行く夏に、どこか
もの悲しさを覚えて影の神の前から去りがたい気持ちになるの
でした。
(おわり)

| | コメント (2)

2025年7月21日 (月)

新潟ジャズストリート

Img_20250719_164845
(クリック拡大)
7月21日(月・海の日)晴れ
(俳句)雪国の雪国らしきジャズの夏
今年もこの土日に夏のジャズストリートが巡って来ました。
2日間だけ通りを歩けば店先からジャズの音が漏れ来る日々が
続きました。佐渡の山ガイド氏のバンドが出演するというので
今月佐渡山行に参加した山の会の有志たちで訪ねました。マン
ドリンとギターのデュオが奏でるジャンゴ風のジプシージャズ
にどっぷりと聴き入りました。
(おわり)

| | コメント (2)

2025年7月19日 (土)

夏惜しむ

004_20250718191701
(クリック拡大)
7月19日(土)晴
(俳句)鉄幹の碑陰をなぞり夏惜しむ
眼下に見える五十浦から通称ℤ坂を上り詰め、振り返ると絶景
がありました。絵の奥の尖がりは知行山でその奥が海馿の峰。
この景色を見たいが為に幾度も佐渡を訪ねたように思います。
跳ね坂の頂上に与謝野鉄幹の石碑が建っています。「波寄せて 
海府の海の ふくらめば 岩踊るあり 歌へるもあり」
与謝野鉄幹が佐渡を旅したのは大正13年(1924)ですから
今から丁度100年前に彼が見て詠んだ景色を、100年後の今
見ていると思うとちょっと感動です。今月7月3~4日に山の
会で佐渡を訪ねました。4日に描きつけたスケッチを仕上げ
るのに2週間もかかるとは。その気になって描き切る思い出
の醸成に必要な時間だったかもしれません。

Img_20250703_150343_20250719063401
(クリック拡大)
正中の変(1324年)とは~後醍醐天皇による鎌倉幕府倒幕計
画が事前に発覚して未遂に終わった事件に連座して佐渡に配
流された日野資朝卿の忌日の毎年7月3日に供養能が妙宣寺の
お御堂で上演されるのを機に佐渡を訪ねて供養能を鑑賞しま
した。今日の演目は「猩々」。能面をつけていても台詞がはっ
きりと判る声量のシテの実力が垣間見えるようで感服しました。

Img_20250704_052353
Img_20250704_053113

翌朝、凪のうちにと船を出してくれた民宿のご主人のご好意で
海上から大ザレ滝を見ることができました。落差80mの大滝は
断崖を下り海岸から見るか、遊船で海上からしか見ることがで
きない幻の滝なのです。大滝の前で遊船はUターンして海上を
戻りました。波間に見えた知行山と海馿の峰は黒々として圧倒
的な存在感がありました。

Img_20250704_084358
(クリック拡大)
岩屋山洞窟の壁面に浄厳上人の「南無阿弥陀佛」の六字名号が
刻字されていました。北佐渡に残る弾誓上人に始まる弟子代々
の木喰行者の足跡を訪ねました。石名清水寺に残る木喰行道作
の薬師如来坐像、黴の地蔵菩薩立象を拝観しました。また真更
川集落から山居に上り、光明仏寺を訪ねました。浄厳上人の利
剣名号塔の傍に弾誓上人とおぼしき石仏を見つけ拝観しました。
人跡未踏の山中に籠って代々修行し、麓に下りて布教された木
喰上人たちの時代に思いを馳せて見ました。山居池が紅葉に染
まる頃にまた訪ねてみようと思いました。(おわり)

| | コメント (2)

2025年6月23日 (月)

若葉色

048_20250622130901
(クリック拡大)   当間山より飯士山
6月22日(日)晴れ
(俳句)若葉色余さず放つ橅大樹
三角点峰(1016m)に立つと東面が開けた先に特徴的な飯士山
(1111m)の尖峰が見えました。当間山のブナ林は皆細い二
次林ですが、真直ぐに伸びた幹と木々の若葉に大いに癒され
ました。

037_20250622131101
(クリック拡大)
(俳句)木魂してあかせうびん(赤翡翠)の山深し
登山道脇の積雪計の赤い矢印は4m超を指していました。今年
は多雪でした。梅雨の6月、消え残った雪の脇にはイワウチワ
の余花が、日当たりの良い林床にはアカモノが犇めき合って群
生していました。犇めき合って咲く異様さは厳しい自然環境の
証のようにも思えました。青葉の頃、キョロロの声を聴きにま
た訪ねてみたいと思います。
(おわり)

| | コメント (2)

2025年6月13日 (金)

遅雪解

017_20250613065901
(クリック拡大)
6月9日(月)晴
(俳句)その奥の青水無月の橅(ぶな)の山
ブナの新緑がきれいです。青水無月は旧六月の異称。水無月
についた青の語感が好きです。昔炭焼きに伐られたので橅は
皆細い二次林ですが、橅林に時折吹いて来る風に涼しさを感
じるいい季節になりました。

024_20250613070401
018_20250613072401
(クリック拡大)
盛りを過ぎたイワウチワ(岩団扇)が木陰にひっそり咲いて
いました。林縁の木漏れ日の樹下にアカモノが群生していま
した。アカモノの熟した実は食べられるとか。小さくて釣鐘
形の愛らしい花に見惚れてしまいました。

035_20250613070601
(クリック拡大)
今年は多雪だったので標高800m辺りから残雪に埋まっていま
した。残雪が少なくなる頃南からアカショウビン(赤翡翠)が
飛来してキョロロロの声が聞ける日も近い気がします。
(おわり)

| | コメント (2)

より以前の記事一覧